京都で生まれ育ち、小学校・中学校を通じて運動能力が突出していたという糸井。「50メートル走、持久走、幅跳び、ボール投げ、マラソン大会、全部ぶっちぎりの1位です」と語り、「ちっちゃい頃からやっぱ“超人”でしたね」と当時を振り返った。野球を始めたきっかけについては、「遊びが野球でしたから」と述べ、当初はピッチャーを務めていたことを明かした。
しかし、高校1年の時、練習中に膝に違和感を覚えた糸井が病院を訪れると、医師から「これどうも古傷で、おそらく膝の皿が3年前から割れています」と衝撃の発言が。自身の感覚について「痛みは違和感ぐらいでしたね。鈍感やったんかも」と語ると、これには元プロ野球選手の元木大介も「野球できないです。大怪我」と、驚きを隠せない様子だった。
診断結果を受け、即手術となった糸井。手術とリハビリに加え、肩の故障もあり、高校1年と2年はほとんど棒に振ることになったという。しかし高校3年の春、万全の状態で京都大会に出場すると、144キロの豪速球を投げ、突然プロ注目の投手になった。公立高校でスピードガンもなかったため、「なぜ速くなったかはわからない」と本人も驚きを隠せない様子だったが、「冬を超えると超人にどんどんなっていった」と、怪我期間中のトレーニングが能力を開花させたのではないかと話した。
この突然の覚醒にプロも注目したが、糸井は「ドラフト1位じゃないとダメだというのが自分の中であった」と、敢えてプロ入りを見送り、大学進学を選択したという。近畿大学に入学した糸井は、「大学はやっぱ4年間あるんで、4回冬超えれるわけですよね。4回も超えると真の超人になれるんじゃないかって思って」と語り、大学ではその言葉通り、全球ほぼストレート勝負でMVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を獲得。ストレートのMAXは153キロに達したという。そして、その圧倒的な活躍が評価され、ドラフト1巡目で日本ハムファイターズに入団することとなった。
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