——まさに“ゾンビィでアイドル”という、本作の根幹の部分ですね。
本渡:まるで生きているみたいだけど死んでいる、でもぼーっとしている人間よりもずっとかっこいいということが面白いと思いますし、訴えかけられているようなときもあって。
『ゾンビランドサガ』を観ている自分は生きているんだと思うけれど、生きていることも当たり前ではない。視聴できる立場の生きている私たちも、小さくてもなんでもいいからやってみようとか、成し遂げようとかやってみたいという、ちょっと生きる気力みたいなものを教えてくれるのが、すごく『ゾンビランドサガ』らしさなのかなって思います。
たとえそれが綺麗じゃなくて泥臭かったとしても、泥臭い分、観ていて刺さると思いますし、ゾンビィという設定をうまく使っているなと思います。
——泥臭さという部分は第2期『ゾンビランドサガ リベンジ』を観ているときにも特に感じました。さくらを演じる上でも、泥臭さということは大事にされているのでしょうか?
本渡:お芝居をするときに、泥臭くするぞと特別に意識したことはないです。台本が泥臭くて、それを読んで、さくらはこう喋っているのかなと思って演じると泥臭くなっていって。作画や劇伴などとの、全体の兼ね合いで泥臭くなっていると思います。
それで言うと最初のオーディションの段階で、あんまり音を作らないで演じられる人がいいっていう意図があったと聞いたことがありました。狙って何かをするよりも、心が自然と現場で動いて出たものをすごく大事にしてくれると感じていたので、特別この作品だからこうしようって思わないようにしていました。
——オーディションの段階からフィットしていたということですね。
本渡:そうですね。すごく演じやすいキャラクターだなと思っていました。
——そこはシリーズ開始当初から7年経っても変わらずなのでしょうか?
本渡:期間が空いてシリーズが続く場合だと、その分人間は生きているから成長するじゃないですか。いろいろな経験をしてテクニックも覚えて。でもアフレコで地続きのさくらに戻る時に、何かを加えようとしてしまっては違うよなと。
劇場版で4曲が新曲として加わりますが、さくらもちょっと成長したと思っていいかなとテクニックを加えようとしたら、すぐにバレてしまいました(笑)。
——そこは難しいところですね(笑)。
本渡:ディレクターさんが「さくらは変わらないのがいいんだよ!」って言ってくださいました。役によると思うのですが、さくらは常にそのときがむしゃらにがんばって成し遂げてきていて、成長はしてきているんでしょうけれど、本番になるとがむしゃらだから特別変わらなく聴こえるのかなって解釈をしました。
——時が流れても、変わらない良さがあるということですね。
本渡:それが本当に良さになると思います。
物語全編通して伝わってくる『ゾンビランドサガ』らしさを、ぜひ劇場で確かめてみてほしい。
劇場版『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』
全国公開中
【配給】東映 エイベックス・ピクチャーズ Cygames
取材・撮影・テキスト/kato
(C)劇場版ゾンビランドサガ製作委員会

