■先代の叔父から祭祀継承者に

徳川慶喜
拡大する

 山岸さんは、徳川慶喜家4代当主であった叔父の遺言により、5代当主に指名された。親族に男子がいるにもかかわらず、叔父は「全てを私に」という遺言を残したという。自身が指名された理由については、「叔父の介護を長くしていて、そこで信頼を得られたのかもしれない。『この人だったら任せられる、徳川家の最後をちゃんとしてもらえる』という気持ちで遺言を書いたのだと思う」と語った。

 家を閉じる「絶家」の決定そのものは叔父がしていたが、既に病に伏していた叔父が何もできない状況だった。山岸さんに対しては、実兄から「自分が継ぐ」と言われることもあったが、それは叔父の意志に反するとして、譲ることはしなかった。また山岸さんが嫁いだことで“徳川姓”でなくなっていたこと、女性であることから「(家を)閉じやすい」という判断もあったようだ。

 叔父の遺言を守り「家を閉じる」ことを決意したが、その道のりは困難を極めた。最も苦労したのは親族の合意を得ることで、この作業に8年もの歳月を要した。徳川慶喜家の継承者が女性であることは「前代未聞のこと」であり、親族からの反発や、中には「父から裁判を起こされそうになった」という軋轢もあったという。「他の人にしたら(家を)続けてしまいそうな勢いだったので、叔父の遺言を守りたい一心だった」という強い意志を持っていたが、周囲からは「徳川になりたいのではないか」と誤解を受けたり、妬みや嫉みいった感情的な反発もあった。ようやく絶家することを公にできた今、「やっとスタートラインに立った」と述べた。

■膨大な資料「ポジティブな意味で公に返す」
この記事の写真をみる(4枚)