■膨大な資料「ポジティブな意味で公に返す」
絶家を決断し、推進する背景にあるのは、叔父の遺言と徳川家の歴史を守るという明確な目的だ。山岸さんはこれを「家の歴史を日本の歴史にする作業」と呼んでいる。最も重要視しているのは、史料を「パブリックにする」こと。「博物館に寄贈してこれから研究を進めていただき、とてもポジティブな意味できちんと公に返す」ことだと補足した。
今、山岸さんは徳川慶喜の愛用したカメラや文書など5000~6000点を管理している。膨大な数の、徳川家や親族であった皇族の品や史料を、個人で管理していくには限界がある。また東京にある広大な敷地の徳川慶喜の墓は、一体が塀に囲まれ、門もついている。塀を修理するだけでも「3000万円はかかってもおかしくない」ほどで、墓を掃除するだけで1日2万歩も歩いたというエピソードまであるほどだ。
博物館などではなく、家で史料を持っていることにも「そこに物語がある」と重要性を感じている。資料だけではただのモノになってしまうが、家の人しか知らない写真一枚の裏にある情報、つまり「どこでどんな風景で、どんな時に撮っていたという話」などを伝えるために、寄贈の際には「必ず全ての史料に立ち会って、一緒に見てお渡しをする」ことを心掛けている。
今回の決断に対して、近畿大学情報学研究所所長・夏野剛氏は「すごくいいことだと思っている」と称賛。個人ではもう整理しきれない膨大な史料は「どんどん公共が管理していく方がいいと思う」と、絶家による文化財の公開を支持した。自民党・東京第8選挙区支部長の門ひろこ氏も、絶家や墓じまいという言葉そのものに「ネガティブな感じが出てしまう」と前置きしつつも、「大切なそのご先祖様の文化財を、きちんと日本のために使ってもらおうという、すごく前向きな働きかけだ」と、そのポジティブな意義を評価していた。
(『ABEMA Prime』より)

