
モスクワ南東部リュブリノ地区に位置するロシア最大の卸売市場。中国から届いた商品を受け取りに来たアンドレイ氏(=仮名)が運転する中国製のSUVは、敷地内に設けられたセキュリティーゲートの前で停車した。
標識などはなく、この先の区域が何を意味するのか、関係者以外にはわからない。アンドレイ氏は、窓を開けて守衛に不思議な言葉を口にする。
「アルトゥール」
守衛は頷くと、行き先のゲート番号を告げる。ゲートが開かれ、アンドレイ氏はSUVを発進させる。アルトゥールとは、輸送を取り仕切っている人の名前で、『合言葉』になっている。もちろん偽名で正体は不明だが、タジク人かキルギス人のようだ。
2022年2月にウクライナ侵攻が始まってから、まもなく4年。西側諸国による制裁の影響はロシアの国家財政を直撃し始めた。異常なインフレはもう1年以上続いている。にもかかわらず、極端な物資不足には陥らず、ロシア人はどうにか商品を手に入れることができていた。
じつはそのカラクリが、このセキュリティーゲートの奥に隠されている。そこは制裁後のロシア経済を支える、地下経済のハブなのだ。
ただし、いまその地下経済にも異変が生じている。2026年、ロシア経済は大きな過渡期を迎えることになる。
(ANN取材班)
市場は“ロシアの中の中国”?
「リュブリノ」はロシア最大の卸売市場で、働いているのはほとんどが中国人だ。彼らが仕入れる大量の物資を「バチャ(人夫)」と呼ばれるタジク人やウズベク人、キルギス人が、荷台に崩れそうなほど高く積み上げ、細い通路を器用に運んでいく。彼らは全員、漢字の会社名がかかれたビブスを身に着けている。
場内の看板もほとんど中国語で、市場を行きかう大量の段ボールも漢字表記だ。館内放送はロシア語と共に中国語が流れ、「ロシアの中の中国」といった雰囲気を醸し出している。扱われる品物の大半は衣料品だが、スマートフォンなどの電化製品や日用品、玩具や食料品もある。一見ロシアから去った高級ブランドの品々に見えるものも、ほとんどは安価なコピー商品だ。
リュブリノには業者以外に、一般の消費者も格安の商品を求めて買い物にやってくる。たとえば、モスクワ市内のキオスクで400ー500ルーブルで販売されている。日本でも人気の「ラブブ」の中国製のコピー商品は、100ルーブル程度(約200円)で購入できる。ただ、一般人が踏み入れられない場所がある。それが冒頭のセキュリティーゲートの奥だ。
ゲートの向こう側に広がるのは…
ゲートを通過すると、アンドレイ氏は倉庫近くに車を止める。荷下ろしをしているタジク人風の男性に商品番号を伝える。そして商品を受け取ると、自宅へと向かう。アンドレイ氏は、彼の「ビジネス」について詳しく説明してくれた。
始めたきっかけは、極東のウラジオストクで中国や北朝鮮への団体ツアーのガイドを生業としている知人から中国の業者を紹介してもらったことだった。その業者からロシア国内で入手しにくい車の部品など幅広い商品を直接購入し、ロシアのオンラインショップで販売している。
中国人業者とのやり取りはすべてメッセージアプリ「ワッツアップ」で行われる。中国人のリーダーや梱包担当、仕入れ担当などにアンドレイ氏を加えた5人のグループチャットが取引の現場となる。
中国人側への支払いは2度に分けて行われる。アンドレイ氏が商品代を振り込むと、中国人側が商品を発送する。しばらくして、商品がロシア国内に運び込まれ、リュブリノ市場への到着の日時がはっきりすると、商品の受け取り日時とともに輸送料が請求される。アンドレイ氏は2度目となる輸送料を送金し、冒頭の市場へと向かう。この時、輸送料を支払っていなければ、市場のセキュリティーゲートは通過できないという。
商品を受け取った後、アンドレイ氏は自宅で商品にバーコードを張り、ロシア最大のオンラインショップ「オゾン」を通じて販売する。どんな商品も、一般の店よりも安く販売できるため売れ残る心配はないという。それだけ仕入れ値が安いのだが、その理由について、アンドレイ氏は驚くべきことを打ち明ける。
「通常、商品を輸入するには通関手続きのためパスポートなどが必要になるはずです。しかし一切要求されたことはありません。彼らは私の名前と電話番号しか知りません。もちろん、私が商品を受け取るときもそうです。パスポートや面倒な書類は必要ありません。商品番号以外は、何も聞かれません」
アンドレイ氏は、中国の業者がどのような手段を用いてロシアの税関を通しているのかは知らないとしたうえで、こう解説する。
「おそらく中国の業者は関税をほとんど支払っていないはずです。だからその分だけ、私は格安で仕入れられるのです。これらの商品はロシアではほぼ合法的に販売できます。税務的には、何もないところから現れたように見えます」
中国業者サイトから見えたカラクリ
つまり「密輸品」ということだろうか?にわかには信じがたい証言だが、インターネットで調べていくと「Hengxing」という中国の物流会社のロシア語のサイトをみつけた。そこにはアンドレイ氏の証言を裏付ける詳細な取引の流れが記述されていた。
「中国から貨物輸送で商品を注文した場合、陸路または航空便を問わず、商品はまずモスクワのリュブリノの市場またはユージニエ・ヴォロータにある倉庫に到着します。ほぼすべての貨物会社は、例外なくこれらの倉庫に配送します」
ロシアに入ってくる中国からのすべての輸入品が、このリュブリノの市場に集結するという。ちなみにユージニエ・ヴォロータは、リュブリノの近くにある一時保管所だ。確かに、リュブリノには「ロシア全土への発送を承ります」といった看板が多くみられ、実際にシベリアから極東までロシア全域のナンバーのトラックが並んでいる。リュブリノは、中国から届く格安の製品をロシア全土へ届ける巨大な“ハブ”の役割を果たしているのだ。
それにしてもなぜ、すべての商品がモスクワのリュブリノに運び込まれるのだろうか?中国から商品を運ぶのであれば、地理的にもわざわざモスクワを経由する必要性は低い。サイトではその理由が説明されている。
「原則として、商品の90%はロシアで完全な通関手続きを受けません。カザフスタンでは割引料金で通関手続きが行われ、輸送費と通関費用を削減できます。そのため、ロシアのバイヤーの多くはこの『グレー』な方法を選択しています。商品の受け取りや正式な検査に関する問題を回避するため、リュブリノ市場とユージニエ・ヴォロータ市場の管理者と協定を結んでいます。正式な通関申告のない商品は、これらの場所で安全に保管されます」
「グレー」商品とは、「割引価格」で関税を通ってきた商品で、リュブリノがその「グレー」商品を取り扱えるロシア唯一の市場ということのようだ。市場の管理者との間でどのような「協定」が結ばれているのか詳細は不明だが、正式な通関手続きをしていないにもかかわらず、商品は違法との摘発を逃れ、「安全」に保管されるという。
こうしてロシア国内に流入した商品は、正式に輸入されたものと見分けがつかないまま、ロシア全土の小売店やインターネットサイトを通じて販売されるのだ。
グレー取引 実際の規模は?
ところで、こうした「グレー」とよばれる商品はどれほどロシア国内に流通しているのだろうか?
2025年11月7日付のコメルサント紙は「ロシアに流入する『影の輸入』の年間売上高は、100億ー150億ドル(8,119億ルーブルー1兆2,300億ルーブル)に上る」と記している。2024年の輸入総額は2830億ドルだとされているので、その5.3%にあたることになる。
特に高額な自動車なども「正規ではないルート」で輸入されている。2025年6月16日付のコメルサント紙によると、5月に輸入された約1万8000台の新車のうち41%が非正規ルートでの輸入だったという。
12月24日付のイズベスチヤ紙は、2025年にロシアで販売されたiPhoneの7割は関税などを支払っていないグレー商品だったと報じている。2024年は5割だったが、さらに増えているという。2022年にアップル社がロシアから撤退して以降、業者は第三国を経由して「並行輸入」をしてきたものの、関税など正式な手数料を支払っているため、グレー商品に競争で勝てずにいる。アップル社がロシアで営業していた2022年まではグレー商品は10%に満たなかったものの、撤退後は急激に増えているということだ。
断っておくと、そもそも「グレー」なので、正確な数字は存在しない。こうした貿易にかかわる関係者たちは、実際の規模はさらに何倍も大きいと口を揃える。
ウクライナ侵攻以降、急増した「個人事業者」
アンドレイ氏の詳細な説明を聞いていると、まるで熟練の密輸業者のように感じるが、実は彼は普通の学生だ。学業のかたわら、時間にほとんど縛られず、効率的に収入を得ることができるため、友人の間でも一般的な「副業」なのだという。実際に、こうした「個人事業主」は、ウクライナ侵攻がはじまってから、ロシアで急増している。
2025年3月8日付のイズベスチヤ紙によるとロシアの個人事業主の数は、過去3年で23.07%増加し、450万人に達した。とくに貿易、サービス、物流分野での増加が顕著だという。急増の要因は、事業の立ち上げが簡単なことや税制上優遇されていることに加え、ウクライナ侵攻後、多くの外国企業のロシア市場からの撤退したことで、新たなニッチ市場が創出されたためだと記事は指摘している。
つまり急増した「個人事業主」は、制裁を受けるロシア経済を支える重要な役割を果たしているということになる。
国境では異変 トラックが入って来ない
しかし、そんな個人事業主たちに突如難題が降りかかる。2025年9月中旬、ロシアとカザフスタンの国境に異変が生じたのだ。複数のロシアメディアが、数千台のトラックが立ち往生していると報じた。商品を注文しようとしていたアンドレイ氏は9月28日、中国人にメッセージを送る。
「中国からモスクワへの配送に問題があると聞きました。すべての国境が閉鎖されているのですか?もし問題があれば、配送はどうなりますか?」
翌日、中国人側から「現在、ウスリースクを含むあらゆるルートで問題が発生している」と返信が返ってきたきり、しばらく連絡は途絶えた。ウスリースクは中国とロシア国境に近い極東地域にある、貿易の要衝の街だ。どうやらカザフスタンだけではなくあらゆるロシア国境で異変が生じているようだ。
複数のロシアメディアは、カザフスタンの税関当局が9月中旬以降、制裁対象となる電子機器やドローンなどの部品がロシアに持ち込まれないよう審査を厳格化したと報じている。一方で、カザフスタン運輸省は、自分たちはスムーズな出国を認めていて、国境を事実上閉鎖しているのはロシア側だと主張した。
真相は不明なまま事態は膠着し、2カ月が過ぎるとロシアの政権に近いメディアもこぞって物資不足を報じ始めた。11月17日付のモスコフスキー・コムサモーレッツ紙は、衣料品店を中心に閉店が相次いでいると報じた。
プーチン大統領の指示で…厳格化のジレンマ
11月27日、プーチン大統領は訪問先のキルギスで、重い口を開く。「カザフスタン国境での輸送に問題が生じているのか」とのイズベスチヤ紙の記者の質問に対しこう答えた。
(トラックの渋滞の)原因は何だろうか?私の指示で、関税委員会が無作為な検査を始めたという事実を隠すつもりはありません。我々の税関に押し寄せているのは、「黒い輸入品」なのです。あえて言いましょう。我々の予算は数十億、数百億ルーブルもの損失を被っているのです。
プーチン大統領は予算収入を増やすため、関税委員会にカザフスタンとの国境で車両検査を開始するよう自ら指示したと明らかにしたのだ。
プーチン大統領の発言から垣間見られるのは、国家予算の逼迫した現状だ。これまで見逃してきた大量の中国からの「グレー商品」に関税をかけ、より多くの税金を徴収する方針に大きく舵を切ったのだ。どうにかして税収を増やして戦費を維持しなければならないのだろう。ただし損失額については「数十億から数百億ルーブル」だとかなり大雑把な数字を挙げていて、プーチン大統領自身もその規模が把握できていないようだ。
これはもろ刃の剣だ。1年以上続くインフレは、ロシア国民の生活を直撃している。そのなかでもロシアの人々が衣服や電化製品を購入し続けることができたのは、リュブリノを起点に全土に発送される「グレー」商品のおかげでもあった。リュブリノに倉庫を構え、iPhoneを販売している男性は、今後輸入できるのが正式な税関手続きを経た「白い」商品だけになれば、少なくとも25%の値上がりは避けられないと漏らす。
さらにプーチン政権は、2026年1月1日から消費税に相当する付加価値税を20%から22%へと引き上げる。こうなれば、商品を購入できなくなる人が多く出てくることになる。
西側の制裁がロシア社会に目に見えた打撃を与えないのは、こうした密輸ルートが構築されていた影響が大きい。仮にロシアがこうした商品を管理するため正式な書類を求めるようになれば、輸出する側も制裁を受ける危険性は高まるため、必然的に輸出量は減少することになりかねない。さらに、アンドレイ氏のような多くの個人事業主が、厳しいインフレ下で生活していくための副業を失うことになる。
中国に市場を明け渡すのか
中国からロシアへの物流が大きく変わろうとしている中、流通関係者たちは、重大な見通しを口にする。国境の厳格化は関税収入を増やすだけではなく、プーチン政権が中国にロシア市場を明け渡そうとしているのではないかというのだ。
アンドレイ氏も今の制度は、急激に中国側に有利なものに変化していると証言する。ロシア人が「オゾン」を通じて販売する場合、手数料や広告費など、さまざまな費用が差し引かれるが、中国人が「オゾン」を通じて直接販売する場合にはこうした費用が格安に設定されているという。
中国人はロシアの事業者よりもより安く販売することができるため、ロシア人の事業者たちは「オゾン」の市場から撤退を余儀なくされているというのだ。アンドレイ氏は中国人がロシア人を介さず、中国の商品を直接ロシア市場に流通させることで、中国の独占がさらに高まると指摘する。
中国人の売り手、商品、車。あらゆるものをロシアの市場に溢れさせることは中国にとって非常に利益になります。何かあった時に例えば、「これをくれないと、もう何も手に入らないぞ」と言えばいいのです。そうすればロシアの売り手とのロシアのサプライチェーンが混乱し、破壊され、存在しなくなるからです。
あくまでアンドレイ氏の個人的な見解であり、単純に一般化することは避けなければならない。ただ、流通関係者たちがロシアの市場を事実上支配しつつある中国の脅威を漠然と感じていることは重要だ。実際、ロシアの主要銀行のうちの一つであるTバンクの調査によると2024年6月から2025年6月までに中国人の販売者は倍増している。
2026年、ロシア経済は軍需特需が限界を迎え下降局面に入ると指摘されている。 さらにコメルサント紙は12月26日、国境の税関検査が厳しくなることで2026年は品不足とさらなる物価高騰に見舞われるだろうと報じている。輸入品のほとんどは10%~15%、なかには30%値上がりするという。これまで黙認されてきた地下経済への規制強化は、ロシア人の生活を大きく揺るがすことになりそうだ。
この記事の画像一覧
