当時について「11月で高校受験の進路を決めたりする大事な時期で、ちょっと受験のことで悩んでいたのはあった。でも家出しても1日、2日で帰ってくるとしても、こんな3年も帰ってこないということは考えていなかった。受験のことだけで3年間もいなくなるということは、ちょっとないんじゃないかと考えている」と話した。
消息を絶った当日については「その日に傘を持っていったのは、午前中雨が降っていて11月にしてはちょっと暖かかったんです。それで娘が『お兄ちゃん、傘を持っていったら?』と言ったので、傘を持って行っているんです。その日は昼ご飯の用意をして、片づけをして、下の子と一緒に私が先に出かける予定だったのは、恭暉にはもう伝えていて。先に出ている間に恭暉も塾に行くということで、出かけていました」と説明した。
塾に行くと話していたが、塾用のカバンを自宅に置いていったという恭暉さん。母親は「塾に行っているものだと思っていた。夕ご飯の用意をして帰ってこないというのが分かるまでは。本人が島に行こうと思ったのは、中学校2年生のときの校外学習で行ったことがあったからだったのか、そこらへんもちょっとよく分かってない」と語った。
また、恭暉さんは当日、LINEで「6時に帰る」と母親に連絡をしている。母親は「普段はそんな連絡はしないんですけど……。中学校3年生の思春期の男の子が毎日『何時に帰る』なんて連絡は、普段はしないので」と明かした。
「夜中1人でいろいろなところを探し回ったんです。商業施設やゲームセンターや公園など。夜中の3時になってもう『これは』と思って。やっぱり受験にも影響するかなということも考えてぎりぎりまで3時ぐらいまで1人で探したんですけど。やっぱりこれはもう届け出ないとと思って、14日に日付が変わって夜中の3時に警察署に行きました」
「そのときは夜中ですので、受理だけしてもらって帰ってきて。翌日、私も仕事に行って普通の生活をしていて、夕方警察のほうから生口島で携帯が見つかったという連絡がありました」と振り返った。
「この時点でスマホを警察が見せてくれると、大きく話が変わったのではないか」という指摘があると、母親は「それができていたら多分、すぐに見つかっているんじゃないかなと思います契約者は私でお金も親が払っていて、使用者が恭暉」と話した。
恭暉さんが消息を絶って以来、1人で捜索を続けてきた母親
