■「グエー死んだンゴ」の投稿者・中山奏琉さん
中山さんが生まれ育ったのは、オホーツクの山間部に位置する、北海道・津別町だ。中学時代にはソフトテニスで全国大会に出場するなど、体力にも自信があったが、大学1年生で病魔に襲われた。
病名は類上皮肉腫。新規患者数は年間20人ほどのいわゆる希少がんで、手術のため即入院となった。SNSでは当時、「癌発覚。明後日から入院生活が始まるけど初めてなのでちょっとテンションが上がってる」と投稿していた。
亡くなる4カ月前に撮影された動画でも、進級できるかとの問いに、「いや無理だね。来年からニートっすね。マジ何しよ。暇なんだよな」「死ぬもん。おれはいつ死んでもいいんだけどさ」などと、まるで人ごとのように語る姿が収められていた。
撮影した友人の松岡信さんは、「僕らの前では一度も弱音を吐いたことがないし、身体的な辛さ以外で苦言を呈したことはない。僕は後にも先にも、上にも下にも、そんな人間には絶対に出会えない。『すごい』という一言で終わらせるのもおこがましい。『唯一無二』という感じだ」と語る。
弱音を吐くどころか、周囲を楽しませようとさえする中山さんは、手術から1年でがんが再発した時でさえ、「再発しましたね。運がなかった。嘆いて治るものでも無いのでネタにでも昇華しようと思います。結論から言うとステージ4らしいです。すごいですねステージ4って。創作でしか見聞きしたことないですよ」と投稿していた。
その時の状況を、和彦さんは「先生に『完治治療ではなく、延命治療に切り替える』と言われ、『やっぱり亡くなるんだ。死んじゃうんだ』と現実に引き戻された」と明かす。その後、肺からの出血を繰り返し、呼吸さえままならない状態となり、2025年10月12日に亡くなった。
その2日後、「グエー死んだンゴ」が投稿された。松岡さんは「(スマホの)画面を見ていたら流れてきて、『やりやがったな、あいつ』と思った。『死んで万バズ(1万件以上の反応を得ること)やったら中山も報われるやろ』と思っていたら、10万、100万いった」と驚く。
中山さんが苦しんだがんの研究機関などに、寄付する人も相次いだ。寄付した「ぱいく」さんは「自分の死後に予約投稿されていたという行い自体が、すごく粋だった。そういった行動自体に感銘を受けた」と理由を話す。
■投稿者の父「毎朝の日課は息子のXを見ること」
