また、これらの動画が「社会実験」や「検証」と称されることにも疑問を感じるという。「こういう動画は、許可を取った人しか出せない。いじめを助けた人は許可するが、ほっといた人は許可しない。そういう意味でやっぱり偏ったものが出る。結局、本来の実態ではなく、人が気持ちよく感じるものや喜ぶもの、許可が取りやすいものばかりが出てくる。それは虚構で、現実はこうですと言ってしまうのはデマだ」と持論を展開した。

 パックン氏も、科学的な側面からも「『社会実験』とか『検証』という、科学用語はやめた方がいい」と述べる。「実験ならば、ダメなケースも発表しないといけない。データが偏ってしまう」と、ひろゆき氏の意見に同調した。一方で、日本人の行動特性についても触れ、「日本で落ちている財布とか携帯は『落とし物』と言うが、アメリカでは『お土産』という。困ってる人がいたら外国人はすぐ助けるが、日本人はちょっと遠慮しがち。優しくないのではなく、相手に悪いとか恥ずかしがる」と分析し、動画が単なるエンタメに終始せず、実態を知るための資料となることを求めた。

 経済学者の竹中平蔵氏は、これらの動画を学術的な「エビデンス」ではなく、あくまで個別の「エピソード」として捉えるべきだとの立場を示した。「これはエビデンスではなくてエピソード。エピソードとして軽いドッキリとしてやっている印象なので、人に迷惑をかけない範囲であれば、そのままやればいい」と、一定の理解を示した。

 議論の終盤、ひろゆき氏は人間氏に対し、新たな企画の方向性を提案した。「動画の企画でネタであれば、被害者の出ないドキュメンタリーを撮ればいい。たとえば刑務所から出てきた人はお金がないから、今食べたいものを奢るとか。嘘をついたり誰かを困らせたりしない企画でもっと儲けてもいい」と、誰も傷つかないエンターテインメントへの転換を促した。
(『ABEMA Prime』より)
 

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