“死ぬな”は“死ね”よりも残酷…「廃用身」の原作者・久坂部羊がそう言い切るワケ 終末期の延命治療を考える

ABEMA Prime
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■延命治療はヒトを救うのか?

久坂部羊氏
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 議論は、日本の終末期医療における「延命」の是非へと及んだ。久坂部氏は、死に対して医療ができることは限られていると警鐘を鳴らす。

 「大事な家族が亡くなる時に、できるだけのことをしたいという家族の気持ちはわかる。ただ、それを期待されている医療者の側に、実際にできることはそんなにない。それは家族のエゴだ。逆に、それをすることによって亡くなっていく方を苦しめることもたくさんある。医療は死に対して無力だ。点滴・酸素マスク・胃ろう・中心静脈栄養・輸血・人工呼吸、全部無意味。むしろ亡くなる方を苦しめるだけだから、そういうことに期待するのは間違いだ」。

 また「悲惨な延命治療が絶対嫌という人は、病院に行って治療を受けない方がいい。病院に行って治療を受けるならば、一定は悲惨な延命治療になる危険性、リスクを飲み込むしかない」と加えた。

 さらに、回復の見込みのない苦しみに対する選択肢についても議論された。

 「乗り越えたら元気になるというなら別だが、誰がどう見ても死なせてあげた方がいい、非常に辛い苦しみだけしかなくて死を待っている人もいる。そういう人に『死ぬな』というのは『死ね』というよりも残酷でもある。(終末期の患者を持つ)在宅医療の先生はみんな『何もせずに乾いて死ぬのが一番楽そう』だと言っている。患者さん側が死を受け入れる気持ちになったら、上手な死に方、楽な死に方はいくらでも説明できる」。

 また、久坂部氏は自身の父親を看取った際の経験を語り、死を穏やかに受け入れる重要性を説いた。

 「うちは家族全員、家で死んでいて病院には行かなかった。(父は)検査も治療もせずに、『これで長生きせんでも済む』と言っていた。86歳で脊椎を圧迫骨折して寝たきりになったが、リハビリもせず、87歳で天寿を全うした。健康になりたいという欲望がそもそも不幸、苦しみを作っている」。

 死を遠ざけるのではなく、日常の中に死を位置づけることの重要性を、久坂部氏は改めて強調した。

 「死ぬ時に後悔したくない。そのためには、いつ死が来てもいいように生きることが大事だと思う。老人になればいろいろな能力を失い体も弱るけれど、知恵がついてくる。ゆっくり力、のんびり力、諦め力、そして受け入れ力。それをポジティブに受け入れてほしい」。
(『ABEMA Prime』より)
 

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