17歳で俳優デビューし、ドラマ「ごくせん」の朝倉てつ役でブレイクした金子賢(49)。ABEMAエンタメの密着企画「NO MAKE」では、現在ボディーメイクコンテストの運営会社代表を務める金子の日常に迫り、これまで一切明かされてこなかった驚きの過去や、現在の心境を紐解いた。
金子は17歳で芸能界入りを果たしたものの、当時は芝居に向いていないと感じ、常に「辞めたかった」と振り返る。「35年前だから怖い人がいっぱいいて、いつも怒られてばかり。事務所でもダメだと言われ続けていた」と、当時の苦悩を語る。
名が広く知れ渡るきっかけとなったのは、26歳の時に出演した大ヒットドラマ「ごくせん」の朝倉てつ役だった。社会現象を巻き起こすほどのドラマで存在感を放った金子だが、本人の胸中はどこか冷めていたという。「正直、自分の中では全く思い入れがない。たまたまドラマがヒットしただけで、俺のおかげでもない。そこで『俺も頑張ったしな』と思ってしまったらヤバいなと逆に思っていた」と明かす。
「ごくせん」でブレイクを果たしたものの、その後、仲の良かった俳優仲間が大麻で逮捕された影響が飛び火し、仕事は激減することとなる。これを機に、元々興味のあった総合格闘家へ転身。所属事務所と交わした「2005年から2年間限定」という約束のもと、K-1などの大舞台に立った。
2007年に芸能界へ復帰したものの、かつての人気を取り戻すことは容易ではなかった。「最初は仕事があったが、その後に急激になくなった。平気で1〜2カ月仕事がない時期が続き、家賃が払えなくなるほどで、精神的な不安がすごかった」と語る。
そんな困窮のどん底にいた34、35歳の頃、金子は人生の大きな転機を迎えていた。仲間のアパレル関係者から「仕事がないなら就職しないか」と声をかけられ、一般企業への就職を決意したのだ。これは金子がどのメディアでも語ってこなかった、初の告白となる事実である。
「2年ほど会社員をやっていた。自分のネームバリューを活かして広告タイアップを取るため、下っ端が行くよりも俺のような人間が動いた方がいいからと、1年ほどは部長を務めていた。『CanCam』や『ViVi』、『sweet』などを担当した」と、当時のサラリーマン時代を振り返る。しかし、その後は企業の業績悪化に伴い、退職を余儀なくされた。
アパレル企業を退職後、25歳からライフワークとして続けていたジム通いと徹底した体づくりが、現在の仕事へと繋がっていく。38歳の時、自身がコンテストに挑戦した際の経験を活かして、ボディーメイクコンテストを運営する会社の代表に就任した。「自分が全国大会で負けた時、なぜ負けたのかがよく分からず消化できなかった。同じように思っている選手たちのために、いたらないところをカバーできる良い大会を作りたいと思った」と設立の理由を語る。大会では自ら審査員長を務め、ステージ袖では実力で勝ち上がった選手たちの姿に涙を流す熱い一面も見せる。「若い子たちには、目標を持ってやってもらいたい」とエールを送る。
「早くいなくなりたい。生きてるのが疲れる」
