当選同期の宮崎氏は、宮沢氏について「我々の時ぐらいから党が強くなり、自民党の方の顔色をうかがうような、先輩に好かれるようなアクションや発言をするサラリーマン的国会議員が増えたと言われていた。(宮沢氏は)その中の空気を良い意味で読まず、自分の信念を貫くサムライのような国会議員だと思っていた。かなり右。非常に極めて保守の右の右の右の方にいる人間かと思う」と語る。
2024年の衆議院選挙。宮沢氏は国政復帰をかけ、静岡3区から無所属で出馬した。しかし結果は、落選。2025年9月14日にABEMA的ニュースショーに出演した際「脳腫瘍から回復した。たまたま目まいがして、脳を見てもらったら脳腫瘍が見つかった。1月に手術をして元気になった」と明かしていた。
そして2026年6月、宮沢氏が新党を立ち上げる。掲げるのは「保守勢力の結集」で、名前は「創生党」。まずは地方議会に候補者を送り出す考えだという。
宮崎氏は「もう宮沢氏が議員辞職した後から、『やっぱり国政にこだわりたい』という話をしていた。『俺はやっぱり新党を立ち上げるしかないな』みたいなことを言っていた」と明かす。
ジャーナリストの青山和弘氏が指摘
