日本人初の世界ライト級王者として、一時代を築いた元プロボクサーでタレントのガッツ石松さんが、2日、肺炎のため、亡くなりました。76歳でした。
世界をつかんだその拳は、“幻の右”と称され、勝利のあと、天高く、拳を突き上げた姿は、その後“ガッツポーズ”として、日本中で知られることになります。
“不撓不屈”のボクサー人生
ガッツ石松さん(当時30)
「誰もチャンピオンになるとは、思わなかったんですね。練習も一生懸命やったから、絶対に勝てるという自分なりに自信があったんです。そうしたら勝ったら、その次の新聞に“まぐれの石松”と大見出しで載る。悔しいから記者会見で『僕は5回は絶対防衛するから見とけ』と、新聞記者に大見えを切ったんです。1度防衛したら“まぐれの石松”だと。(Q.がっかりしちゃうでしょう)がっかりしないですね、それが世の中じゃないですかね。結果を見せないと相手が認めてくれないのが世の中だと僕は思う」
不撓不屈の男のボクサー人生は、プロテストでの不合格から始まりました。初めて世界タイトルに挑んだのは、デビューから4年後の1970年。ここでもテクニカルノックアウトで敗北。
世界タイトルを手にしたのは、1974年4月でした。
鋭い左ジャブからのワンツー。最後は、左フックからの右ストレートで、メキシコ人王者をキャンバスに沈めました。
ここまで11度の敗戦、2度挑んだ世界戦もノックアウト負け。苦難の末につかんだ世界タイトル。王者を沈めた右ストレートは“幻の右”といわれました。
ガッツ石松さん(当時34)
「戦績を見てね、石松は絶対に勝てないという前評判。僕がチャンピオンになった試合は、僕の人生を全部かけたんです。世の中、過程はみてくれないでしょ。でも、僕は結果として世間に証明した。『やったぞバカヤロー』って世間様に対して僕は怒鳴ったんです」
体重約61キロ。ガッツさんが戦場としていたライト級は、欧米選手の層が厚く、体の小さな日本人には手が届かないといわれていた階級です。ライト級で世界の頂きにたったのは、アジア人ではガッツさんが初めてでした。
元世界王者が語る“ガッツの右”
日本人で2人目のライト級世界王者になった畑山隆則さんは“ボクサー・ガッツ石松”の強さをこう語ります。
畑山隆則さん
「本当に基本に忠実な、真面目なガッツさんらしいボクシングだと思います。繊細ですべて計算されたボクシングというか。とにかく繊細。ボクシングも性格も。“幻の右”をたくさん練習して、すごく努力して“幻の右”を完成させたんでしょうね。一朝一夕でできるようなものじゃない。ガッツさんのあとにライト級のチャンピオンになれたのは、非常に誇りです」
リングに上がるときの“しまのかっぱに三度笠”の衣装も、人気を呼び、ライト級のタイトルを5度、防衛しました。
リングでの戦いを支えたのは、家族の存在だったといいます。
ガッツ石松さん(当時30)
「すごく調子が悪いとき、中盤以降になると、必ず会長が僕の目の前に子どもの写真をよこすんですよ。『この子のために頑張れ』とはっぱをかけるんです。ここで負けたら何も子どもにしてやれないから、頑張んなくちゃという違った力が出てくるんです」
ユーモアあふれるタレント人生
引退後、ガッツさんが飛び込んだのは、役者の世界でした。NHKの連続テレビ小説『おしん』や『北の国から』など、数々のテレビドラマに出演。そして、1989年公開の『ブラック・レイン』でハリウッド映画に出演。松田優作さん、マイケル・ダグラスさん、高倉健さんらと共演しました。
ガッツ石松さん(当時)
「この社会は、一つの演技とか、例えば、こういう番組に入ったら、世界チャンピオンというのは置いておかないといけない。一時、置いてやらないといけない。僕は、何をやっていても、人ができなかった世界チャンピオンになった男だというプライドと自信はいつも腹の底にしまって、僕はやっています。この間もNHKの『おしん』の撮影のとき、リハーサルやランスルーをやるでしょ。本番と言われたときに、『ちょっと待ってください』と、陰の誰もいないところで、シャドーボクシングをちょこっとやって、本番、やりましたよ」
ユーモアにとんだコメントなどでバラエティ番組でも人気となります。1996年には、自民党から衆議院選挙にも出馬し、落選しました。
ガッツ石松さん(1996年)
「いままで私が生きてきた人生は、自分で一生懸命にやると、必ず返ってきた人生だったけどね。返らない審判もあるんだと初めて味わった。武器を持たない合法的な戦争だから。大変な国とり合戦の戦争に、自民党の看板を背負って負けた」
選挙や映画監督への挑戦で、作った借金は6億円以上に上ります。
波乱万丈の人生。それでも、ボクシングへの愛は変わりませんでした。
2010年、ボクシングの普及などを目的とした日本人世界王者の親睦団体『世界チャンピオン会』を結成。ガッツさんが提唱し、初代会長を務めました。
最後に公の場に姿を見せたのは今年3月。後輩ボクサーのジムオープンのお祝いの場でした。
ガッツさんの弟弟子、同じトレーナーのもとでボクシングを学んだ赤井英和さんも、この場にいた一人です
赤井秀和さん
「相変わらず、スピーチのときもギャグをおっしゃっていた。会場の中でも、ジムの中でも、どかーんと、うけたりして。さすがだなと思いながら聞いていた。いつでも、偉そうなことをおっしゃったことは絶対にない。声が聞けなくなるのが非常に寂しい」
戦績:51戦31勝(17KO)14敗
ガッツ石松さん(当時53)
「『粗にして野だが卑ではない』粗暴で粗削りに見えるかもしれない、野蛮のように見えるかもしれないけど、人間卑しくあってはいけない、心は卑しくあってはいけない」
