幼少期は「人見知りの陰キャ」だったという上谷だが、8歳の時に母の勧めでプロダンサーも輩出する高レベルなダンススクールと器械体操を同時に習い始める。厳しい練習を週5日・各5時間も重ねるほどのめり込んだ結果、4年後の12歳の時にはダンスの日本大会で優勝、世界大会で準優勝という驚異的な実績を達成。
さらに、高校に上がるタイミングで、LDHが運営する名門ダンススクール「EXPG STUDIO」の門を叩いた。地元の神奈川から中目黒まで週に2回レッスンに通った上谷は、持ち前の高い身体能力を活かして瞬く間に頭角を現し、「上級クラス」へと昇格を果たす。
上級クラスに所属した上谷は、有名アーティストのミュージックビデオなどに参加しただけでなく、サポートダンサーとしてEXILEのライブにも出演。さいたまスーパーアリーナのステージに立ち、2万人の大観衆の視線を浴びながらバックダンサーとしてパフォーマンスを行ったという。
すべてが超一流であるエンターテインメントの世界を高校生にして生で体感した上谷は、この2万人の前でバックダンサーを務めた経験をきっかけに、「私も、スポットライトを浴びる何者かになりたい!」という強烈な夢を抱くようになったと語る。しかし、この「何者かになりたい」という漠然とした強い憧れこそが、後にAKB48グループのオーディションをはじめとする「怒涛の100回以上不合格」という暗黒のしくじり落選地獄へと彼女を引きずり込む、大きな落とし穴の始まりとなってしまうのだった。
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