ただ人を傷つけないように
小椋が子ども食堂を開設した背景には、現役引退後の深い挫折と家族の苦難があった。引退後、大会でのインタビュアーを務めていた小椋だが、「自分が当時されて嫌だった聞き方もやらなきゃと思ってやっていた」という。「選手との距離感がおかしくなり、現場に行くのが怖くなって生きるのが怖くなった」と振り返る。葛藤の末に三重の実家へ戻った直後、今度は母親が脳出血で倒れて片麻痺が残ってしまう。小椋は車椅子で自由に動けるバリアフリーの家を建て、姉家族とともに母の介護を分担して行った。
そうした生活の中で、幼い頃からの「子どもに関わる仕事がしたい」という夢を叶えるため通信制の短大に通い、保育士資格を取得。その中で、社会で手を差し伸べてほしい子どもたちに何かしたいという思いに気がついた。さらに、母親が倒れる前に「退職したら子ども食堂をやろうかな」と口にしていたことも背中を押し、バドミントンの仕事や母の介護の合間を縫って、自身の理想とする子ども食堂の開設に至った。
利用する親子からは「すごくおいしい」「共働きで忙しい中、月に1度でもこうした場所があると本当に助かる」と感謝の声が寄せられている。
「なぜ周囲を優先するのか?」という問いに小椋は「人が嫌な思いをしないようにという気持ちが一番かもしれない。私は人を喜ばせるために何かができるとは思っていないから、ただ人を傷つけないようにとか、誰かが今の生活の中で少しでも楽しいなとか幸せな瞬間あったなと思ってもらえることを望んでいる。大きいことは全然考えていないけど、たぶんそこが自分の喜びとか幸せにつながっていると思う」と語った。
(『ABEMA NEWS』より)
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