——そういう部分も含めて、いろいろな人と出会って経験から学んでいく事が大事といいますか。お仕事としては、キャリアを重ねていく事でそこは自然と増えていきますよね。
関根:私は小さい頃から母に「壁にぶつかったときは、どうしても立ち向かう事が出来なければ避けてもいいよ」と言ってもらっていたんです。もしかしたら避けた先に階段やはしごがあるかもしれないし、それを見つける事も一つの手であると。
試行錯誤して壁を乗り越える事が出来たときは、次の壁にぶつかったときに(前の壁の経験から)自分ではしごをかける事が出来るかもしれない。だから壁を一つ一つどうやって越えていくのか見極めて、でも本当にダメなときは逃げなさいと教えられていて。
下野:何その教え! すごいね。
関根:なので、シタラも楽しい事も、辛い事も経験し、それを乗り越えたからこそドレゲネ様と共感出来、自分が得てきた知識を使って立ち向かう事が出来ている。でも相対する相手を見ると知識だけではなく経験も大切で。知識を学んでいく事と経験する事の両方を大切にしければいけないなと感じました。
——知識を行動に活かすという事は、第1話でもムハンマドが桶を落とす事で印象的に提示していましたよね。
下野:齋藤くんはそういう教えとか、考えている事はある?
齋藤:みなさんのお話を聞いていて、自分はまだ視野が狭いなと感じました。最近になってようやく自分が何を感じているのかという事にセンサーを向けられるようになって、この感情は何だろうと考えたりもするのですが、それでも悔しいという事やわからないという感情のまま終わってしまって、自分なりの答えというものがまだ遠いところにあって……。
下野:この仕事を始めてからすぐは、どういう感情を抱いていたの?
齋藤:そうですね……今までの自分を否定したくはないのですが、本当に何も考えずにやってきたのだと思います。とにかくやってみてチャレンジしてみるという事だけで、自分のやりたい事が通用していた事もあって。
でも、いろいろな作品に携わらせていただいて、それが通じなくなってきて「芝居って何だろう? 作品作りって何だろう?」という疑問を抱くようになってきたのですが、まだまだ全然わからなくて。
下野:そういう意味では壁にぶつかっているのかもしれないよね。
小清水:これからだよ。なんかいいですね! (悩む事も)楽しいぞ!
——やっぱり考える事って、答えがすぐに見つかる事も少ないので、難しいですし大変じゃないですか。現代ではAIを使って考えないで済ませてしまう事も出来るなかで、改めて自分で考える事の大切さを実感しています。
小清水:『天幕のジャードゥーガル』のお話に触れていると、“自分で考える事”を“当たり前に出来る事”って幸せなんだなって思いますよね。
下野:でも、そんなに難しい事じゃなくても、人間って基本的に何か考えているでしょ。考える事自体はやめられないと思うから、それならいろいろな事を考えていろんな答えを自分なりに導き出していった方が、自分の人生豊かになっていくよね。
現代ではAIに頼る事があるかもしれないけれど、そこで頼ると(AIが出力した)文字だけを覚えるだけで終わっちゃう可能性があって。
自分なりに気になるものを調べて、見て触れられる機会があるのなら触れていった方が本当の経験値になっていくのだろうなっていう意味では、自分の力だけで深掘りしていく事ってけっこう大切な事なのかもなって思います。
小清水:私は考える事は好きだからいろいろ考えて、いったんは仮定して進む事が多いけど。答えが出ないときには保留して、これ以上考えないっていう“ヤメ時”が肝心かなとも思っています。
最近はAIも自分なりに上手く活用しているんですけれど。方法として、AIに答えを求めるのではなく、まとめを記録しておいてもらう事。自分の思考した内容・仮定を、期間を空けた後日に続きからスタートしやすいように、要点まとめだけして、意見や感想は要らないよ、と頼んでます。
下野:それも知識というか経験というか、AIはこういう事が出来るからこう使おうという答えの導き出し方だよね。
小清水:(考える事の)いったん保留がないと、どうせ答えはいますぐに出ないのに、ぐるぐるって考え続けてしまい、結果メンタルを病んじゃう、なんて事もあるじゃない?
齋藤:(深くうなずく)
「表現者として立つ時は…」


