■新宿2丁目から千葉の居酒屋へ「東京の方が生きづらかった」
新宿2丁目で約20年ゲイバーを経営し、現在は地元・千葉県の居酒屋で働くやすこママは、パレードとの関わりをこう振り返る。「吹奏楽の経験を生かして、2006年からグループで楽器を吹きながらパレードに参加していた」。
しかしある年、店に客から「なんでゲイの人は真昼間に原宿をパンツ一丁で歩いてパレードしているのか」と電話があり、十分に説明できなかったと明かす。「一緒に出ているゲイの子たちの中には、感情を持って何かを訴えている人もいる。それを汲み取ってあげられず、ストレートの人に説明できなかった」。そして翌年から参加しなくなった。
その後、テレビ出演などにより「カミングアウトしていないのに、世間は勝手に知っている状態」になった。「どこに行っても『やすこママ』と声をかけられ、苦しくはなかったが、違和感はずっとあった」と語る。
そしてコロナ禍で飲食店が大きな影響を受けたことをきっかけに、自身の今後について考えるようになった。「45歳を越えて、『これから60歳、70歳、80歳をゲイとして生きていく上で、この街にいて大丈夫かな』と思い始めた。その結果、一度地元に戻って、よく考えてみよう」と決断の理由を述べた。
現在暮らす千葉県富里市は人口4万5000人ほど。「東京にいた時は生きづらかった。今は生きやすい」と話す。「千葉に戻って初めて出会ったゲイの人は、千葉から出たことがなく、『東京に行けばゲイの人に会えるんだね、2丁目は知らない』と言っていた。田舎の20代後半でもそう。そういう人の方が生きづらいのかもしれない」と語った。
■「ラッキーな人はいいよね」で終わらないために
