■正しさや損得から解放される「クラブ」の存在
対話すら困難になった社会で、分断を回避するヒントとして両氏が挙げたのが「クラブ」と呼ばれる居場所の存在だ。
朱氏は社会における場を、不特定多数が集まり、誰が聞いているか分からないため発言に気を遣い、正しく振る舞うことが求められる 公の場「バザール(市場)」と、身内として安心・安全に関われるサークル的な場「クラブ」の2つに分類して説明する。現代社会はSNSをはじめとする「バザール的な正しさ」で覆い尽くされており、失敗や不適切な発言が許されない環境が人々を萎縮・疲弊させているという。
一見、SNSのエコーチェンバー(同調空間)が「クラブ」のようにも思えるが、朱氏は「SNSは非公開の場であってもデータが残り、いつ晒されるか分からない公共の場(バザール)である」と指摘。だからこそ、間違っているかもしれないが「こう思っちゃうんだよね」と本音や弱音を漏らせる、本当の意味での「心理的安全性の高い暗がりやサークル(クラブ)」が必要なのだと訴えた。
柳澤氏も、ニューヨークで取材した若者の中に、政治的な対立に疲れ、カトリック教会に居場所を求める人たちがいることを紹介。「過酷な経済状況や政治的対立の中で、正しさによる裁きや損得勘定から解放され、無償で安心していられるコミュニティ(クラブ)を若者たちが求めている」と分析した。
■説得のための「対話」から、身体性を伴う「会話」へ
