■説得のための「対話」から、身体性を伴う「会話」へ
さらに朱氏は、人と人とのコミュニケーションのあり方そのものを再定義する必要性を訴える。
論理や言葉によって相手を説得したり合意を形成したりしようとする「対話(ダイアローグ)」ではなく、朱氏が提唱するのは、合意や説得の手前にある「会話」や「身体性」を取り戻すことだ。違う考えを持つ相手ともただそこに一緒にいて、言葉や身体的なやり取りを通じて緊張を緩和することが大切だという。
朱氏は「SNSの言葉は相手の顔や身体がないからこそ書けてしまうものだ」と指摘する。人間が使う言葉は本来、動物同士の毛づくろい(グルーミング)の延長線上にあり、相手と対面して論破や説得の手前で「互いの緊張を緩和する」ためにあると説明。アイコンタクトや手振りといった身体性を伴うコミュニケーションを取り戻すことの大切さを訴えた。
こうした課題は日本社会においても無縁ではない。日本において対話や共存をどう進めるかという問いに対し、朱氏は、西洋で生まれた「リベラリズム(寛容さ)」とは、無理にわかり合ったり説得したりすることではなく「互いに過剰介入せず、適度にほっとき合うマナー」であると説明。日本の日常にある喫煙所やサークルのような身近な場を引き合いに出し、互いに干渉し合わないための距離感とマナーを持つことが、共存の鍵になると指摘した。
(『ABEMA Prime』より)
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