「セクハラの認識なかった」「めんどくせぇ女だなと仕事を干される怖さも」ジャーナリストが語るかつての葛藤と日本初“セクハラ裁判”の意義

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■「セクハラ」という言葉すら浸透していなかった1989年

 同作のパンフレットに寄稿もしている浜田氏は、かつてを振り返り「1989年は私が新聞社に入社した年。同作はまさにその年に起こされた裁判に着想を得ている。当時は自分がされていることがセクハラだという認識がなかった。当時、この裁判は大きく報じられていたが、地方で勤務しており、自分の仕事で精一杯だった」と振り返った。

 当時、女性が置かれていた状況について「例えば触られたり、取材先との飲み会に呼ばれてお酌要員をさせられたり。それも仕事のうちで、これを我慢しないと仕事ができないのだろうなと思っていた」と明かす。

 「嫌だなと思いながらも、とても声を上げられる状況ではなかった。もし声を上げたら『こいつ、めんどくせえ女だな』と思われて、仕事を干されるかもしれないということの方が強かった」と、当時の強い恐怖と葛藤を告白した。

「嫌なら嫌と声を上げていい」教えてくれた先駆者たち
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