複数の運転手らで捜索、翌朝発見
1999年2月18日、夜10時ごろ。田切さんは、市内の繁華街にある車庫から無線を入れた。「大淵方面への客を乗せる」。車庫から遺体が見つかった山道まで約8km。深夜なら、15分もかからない距離だという。しかしその後、連絡が途絶えた。
三澤社長は「夜12時を回った後、行方不明になって、『大淵方面に行く』という無線が入っていたので、大淵地区を残っていた運転手で探した。探してもわからなくて……」と振り返る。
そして、朝5時ごろ。別の客を乗せて走っていた同僚が、田切さんのタクシーを発見した。タクシーは不自然な場所に停まっていた。「ドアを開けまして、シートベルトをしてるんで、向こう側に寄りかかるような感じで」(三澤社長)。
その日、三澤社長は現場で何を目にしたのか。田切さんは、シートベルトを締めたまま、助手席側に傾き、口から血を吐いていたという。
死因は、首の右後ろ部分を鋭利な刃物で刺されたことによる失血死。凶器は刃渡り10数cm、幅3~4cmの鋭利な刃物とみられている。さらに、田切さんの左腕には、いくつもの切り傷があったという。「田切さんが戦った形跡があった。どれだけの恐怖があったのか」。
犯行の推定時刻は夜10時30分から50分の間。殺害されて約7時間後に田切さんを発見した。犯人は、なぜこの場所を選んだのか。
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