■古田敦也をあえて2位で指名したワケ
ドラフト会議は、球団の思惑と選手の人生がまさに交錯する場所。最も有名なドラマが「KKドラフト事件」だろう。1985年、巨人入りを熱望していたPL学園の清原和博選手。相思相愛かと思いきや、指名されたのは同じPL学園の同級生、桑田真澄投手だった。清原は会見で涙し、西武に入団した。後年、清原は巨人に移籍し、2人は再びチームメイトになった。
各球団のスカウトにとっても成果が問われる運命の一日となるドラフト会議。ヤクルトで30年以上にわたってスカウトを務め、数々の有名選手を発掘した"伝説のスカウト"片岡宏雄氏は「普通、ほとんどのスカウトは監督の言うことを聞く。ところが僕は『うちへ来れば(試合に)出られるし、絶対にうちへ来い』と約束をしてしまった」と、古田敦也選手獲得の裏側を明かす。
「本人もプロ野球をよく分かっていて、ヤクルトのキャッチャーになれば先輩をすぐに追い抜けるという自信もあったようだった。すぐに本人からOKが出た。『ヤクルトにお願いします』という。だけどその時に野茂がいた。そこで(古田選手に)『野茂を1位でいくから、悪いけどヤクルトに行くと宣言してくれ』と話した。そうすると大体降りるチームが多くなる。よそのスカウトにも、僕が『古田はうちに来る』と言っているものだから、他の球団は指名して来ないだろうという自信があった。(これは裏取引ではなく)本人との約束事」。
片岡氏の裏話にはまだ続きがある。「それでいざドラフト会場に行くと、野村克也監督が『メガネをかけたキャッチャーはいらない』と言った。高卒のキャッチャーを取って、自分が育てたいと思っていた。でも僕は変える気はなかった。そしたら球団社長が、あんまり監督に逆らうなと、僕の足を蹴飛ばしたんですよ。僕はイライラして会場を飛び出してやろうかと思ったが、大人気ないなと思って、まずピッチャーに行った。古田は絶対に残ってるという確信があったし、実際に来てくれた。ただね、古田には謝りましたよ。1位でいけなかったから」。
片岡氏はスター選手の発掘方法について「キリがないから深くは選手を見ない。けど、一目惚れは大事。感性でこの人はすごいと感じた人。例えば選手でも100回見てもいいか悪いか判断できない選手もいる。一回見たらこいつだっていう人もいる。スカウトというのは簡単なようだけれども、感性で選ばなければいけない。チェックポイントは人間の体の部分、全てあります。足の先から指の先まで感じるものはある」と話した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)