鈴木みのるのデビュー30周年記念イベント『大海賊祭』が、6月23日(土)&24日(日)に横浜赤レンガ倉庫イベント広場で行われることが発表された。このイベントの動員は2日で3万人超が予測され、これだけ大規模で入場無料というデビュー記念イベントは前代未聞だ。
鈴木は、新日本プロレスの1.4東京ドーム大会で後藤洋央紀に敗れ、NEVER無差別級王座から陥落するも、わずか3週間後の1.27北海道きたえーる大会で棚橋弘至を下し、IWGPインターコンチネンタル王座を戴冠。鈴木は今年6月でキャリア30年、50歳になる。これだけのキャリアを重ねたプロレスラーが、新日本プロレスのシングルベルト戦線で活躍していることも、1999年に天龍源一郎が49歳10ヶ月でIWGPヘビー級王座を戴冠したこと以外、あまり例がない。
横浜高等学校時代はレスリング部に所属していた鈴木は、国体2位という実績を残して新日本プロレスに入門。1988年6月23日の飯塚孝之戦でデビューを果たした。デビュー戦からしばらくは連敗続きで、25戦目の飯塚戦でようやく初勝利を収めた。その後も連敗続きだった鈴木だが、首脳陣やマスコミからの評価は非常に高く、ライバルの佐々木健介とのシングルマッチは「前座の名物カード」と呼ばれていた。
■アントニオ猪木と“前代未聞”のシングルマッチ
そんな、一若手レスラーに過ぎなかった鈴木が、1989年3月15日の新日本プロレス愛知県体育館大会の第1試合で当時、付き人を務めていたアントニオ猪木と対戦した。同年2月の両国大会で長州力との一騎打ちに敗れた猪木は、1からの出直しとして、中堅レスラーを相手に第1試合でシングルマッチを続けていた。この「1からの出直し」に噛みついたのが、キャリア1年にも満たない鈴木だった。
鈴木が「俺らは1以下なんですか? 1として認められないんですか? 1以下じゃないってことを知らせたい」と発言したことがあってか、若手レスラーとメインイベンターの対戦という、前代未聞とも言えるシングルマッチが急遽実現することになった。試合前、「リングに上がったら上も下も関係ない。自分は勝つつもりで闘います」と言っていた鈴木は、試合開始早々、猪木に張り手を連発で叩きこむなど、新人離れした度胸を見せて健闘。最後は7分48秒、猪木の弓矢固めで敗れたが、試合後に猪木に「今日は気持ちいい。あの野郎、俺が本物にしてやる」と言わしめた。
しかし、鈴木は翌日の16日、横浜文化体育館での飯塚戦でデビュー2勝目を収めたのを最後に、新日本プロレスを退団。新たな理想を追い求めるためにUWFに移籍した。その後、プロフェッショナルレスリング藤原組を経て、船木誠勝らとパンクラスを旗揚げ。1995年5月、ケン・シャムロックを破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなるも、首の負傷が原因で欠場と復帰を繰り返す。
2003年4月にパンクラスのプロレス部門として「パンクラスMISSION」を立ち上げた鈴木は、古巣の新日本マットに参戦したのを皮切りに、プロレスリング・ノア、全日本プロレスなどメジャー団体を股に掛けて活躍。それぞれの団体の至宝である、GHCヘビー級王座と三冠ヘビー級王座を獲得した。
その一方で、西口プロレスでアントニオ小猪木と対戦したり、自主興行で里村明衣子と組み、高山善廣、栗原あゆみ組とのミクストタッグマッチを行うなどプロレスの幅広さを体現。2017年には、東京ドーム全面を使った前代未聞の「路上プロレス in 東京ドーム」で、DDTの高木三四郎と一騎打ちを行うなど、常にプロレス界に話題と刺激をもたらしてきた。
デビュー30周年記念イベント『大海賊祭』には、中村あゆみなど豪華アーティストによるスーパープレミアムライブやワークショップなどのコンテンツを予定しており、プロレスだけでなく、総合的スポーツカルチャー促進イベントとなる。鈴木の記念試合の相手は、今のところ未定だが、鈴木曰く「決定したら、あっと驚くもの」になるという。“前代未聞”のプロレスラー・鈴木みのるの今後の動向から目が離せない。