昨年、平成29年初場所で悲願の初優勝を果たし、14年間途絶えていた“日本出身横綱”が誕生した。第七十二代横綱・稀勢の里の誕生により、日本中が稀勢の里フィーバーに沸いたことは記憶に新しい。しかし、新横綱として挑んだ翌春場所で稀勢の里に早くも試練が訪れる。
初優勝の勢いをそのままに、初日から十二日目まで全勝。十三日目の相手は第七十代横綱日馬富士。誰もが稀勢の里の連勝を信じた一番だったが、日馬富士の立ち合いの鋭さが光った。電光石火のごとく、突き刺さるような立ち合いから両差しで前に出る日馬富士。稀勢の里は小手に振り凌ごうとするも、日馬富士が止まることはなく、そのまま寄り倒された。
「落ちてるときには既に痛みがあった」
つい先日、取材時に稀勢の里が当時の様子をそう振り返った。土俵下に落ちた稀勢の里は左胸のあたりを右手で押さえ、しばらく動かなかった。いや、動けなかった。しかし優勝争いを演じている横綱としての責務を果たすため、ケガの状況は報道陣にも一切口にしなかった。十四日目の対戦相手は第七十一代横綱の鶴竜。痛々しいほどのテーピングを左肩付近に施し土俵に上がった。しかし、なす術なく2敗目を喫してしまう。誰もがそのケガの状況が悪いとわかる一番だった。周囲から『甘い横綱昇進』と言われていることも彼は知っていた。だからこそ新横綱の本場所で2場所連続の優勝をしたかったが、十四日目の取組を観た人間で、千秋楽に一敗を死守している照ノ富士に勝てると思った者はいなかっただろう。事実、記者陣も稀勢の里の優勝は厳しいと見ている人も少なくなかった。しかし彼は本割でも照ノ富士に勝ち、相星で並び、優勝決定戦でも勝利し、見事2場所連続の優勝を手に入れた。我々が想像できないほどのプレッシャーの中で闘った“寡黙すぎる男”は表彰式の前に行われる国歌斉唱で大粒の涙を流した。
「ケガをしたのが十三日目だったからよかった。いつも通りの相撲じゃ勝てないことがわかったから、角界に入ってからの18年間で取ったことのないような相撲で勝ちに行くしかなかった。ケガをしたのが一日遅ければ結果はどうなっていたのかわからない」
そう語った稀勢の里はその後、ケガの状況を詳細に語ることはなく「元気な姿を観てほしい」という言葉がウソにならないよう日々稽古に励んでいる。しかし、それからはケガの影響が本場所の土俵で顕著に見られ、思ったような成績を残せていない。左大胸筋損傷、左上腕二頭筋損傷と発表があったがその損傷具合にもよるが、仮に、筋肉が断裂しているようであれば、手術をしない場合、完治まで2年はかかると見る医療従事者もいるほどだ。
「結果を出せていない今はまだ何も言えない。でもいつか、必ずこの(苦しい)ときの話を、あんなこともあったなぁって話せる日が来るように頑張るだけ」
力士として、ひとりの男として余計な言い訳はしない。自分の納得がいく結果を出せていないのにベラベラと自分のことを喋るような男ではない。だからこそ今は耐え忍び、大輪の花が咲くまでは寡黙に努力をし続けるしかない、という彼の強い思いを感じた。中途半端な気持ちで土俵に上がるような男ではない。「稀勢の里復活」を自身が確信したとき、土俵に上がる決意を固めた彼の相撲からは、一瞬たりとも目を離すことができない。きっとまた、あの感動を私たちに与えてくれるだろう。第七十二代横綱「稀勢の里伝説」は始まったばかりだ。
【相撲情報誌TSUNA編集長 竹内一馬】