![「早稲田からの果たし状により始まった」 元プロ野球・広澤克実氏、東京六大学野球「早慶戦」の起源を語る](https://times-abema.ismcdn.jp/mwimgs/5/4/724w/img_542a3f77f69fa5bd51821499a5234eed612721.jpg)
明大野球部OBでプロ野球でも通算306本塁打と活躍した広澤克実氏(56)が、東京六大学野球の注目カードの一つである「早慶戦」について、その起源を語った。
広澤氏は5月26日、AbemaTVの東京六大学野球 2018春季リーグ戦の中継に解説で登場すると、まずは日本における野球の起源について「1872年、東京大学の前身である開成高校に赴任したアメリカ人教師のホーレス・ウィルソンによって日本に野球が伝えられ、全国に広がった」と説明すると、その後、大学では慶応大学が積極的に野球に取り組み、早稲田大学は当時、慶応大学の後塵を拝していたことなどを付け加えた。
話が早慶戦の起源に及ぶと、「1903年に早稲田大学野球部の第二代主将を務めた橋戸信(まこと)氏によって慶応大学に対して果たし状が突きつけられ、そのことがきっかけで早慶戦が始まった」と続けた。
その後、広澤氏の母校である明治大学をはじめ、法政大学、立教大学などが加わり、1925年に東京六大学野球連盟が発足。翌1926年に明治神宮野球場が総工費約53万円をかけて完成すると、六大学野球側が5万円を負担する形で、後の使用権を得ることになった。
ただ1932年には早稲田大学が同リーグから一時脱退する事態に発展しており、同校が秋のリーグ戦で復帰するまでの間、東京六大学野球連盟は「東京大学野球連盟」と名乗っていた時期があった。
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