元小結・旭道山が立ち合いの“張り差し”議論について言及。今、求められる「力士の姿勢」について“待った”を掛けた。
予期せぬアクシデントにより、大相撲名古屋場所四日目から休場となった横綱・白鵬(宮城野)。その取り口などで昨今、議論になることの多い“張り差し”について「あくまでも取組の流れの中の一つであり、議論が起こること自体に疑問を感じる」と切り出した旭道山は、「むしろ繰り出す方がリスク、受ける方にとっては勝機」と持論を述べ、次のように続けた。
「張り差しに行くということは、相手に対して脇を空けるということ。相撲で脇を空けるというのは、リスク以外の何物でもない。プロの力士たるもの、その勝機を見逃さずに、何故、入っていけないのか? 差せないのか? ということに尽きると思います。つまり張り差しを受け、クラっとしているようでは、その力士が甘い、弱いということなんです」
さらに旭道山のアツい思いは止まらない。
「もちろん品格という意見があることは理解しています。ただ考えてみてください。相撲は頭からぶつかって、顔をバンバン突き合うんです。それを『顔は叩くな、胸を叩きなさい』など言ったら、もはや相撲ではなくなってしまう。拳さえ用いなければ、どこを叩いてもいい。それが大相撲なんです」
そんな旭道山は現役時代、立ち合いの張り手から豪快に相手をノックアウトしたこともある。しかし、それは時として、自分にとっても同じことが言えた。
「私が現役の時、相手力士の掌底を脇腹にもらって、肋骨を3本折ったことがあります。折るとか、切れるとか、外れるとかは、言葉は悪くても、相撲では当たり前の話。それに耐えられる心と体を磨き上げるのが日々の稽古。プロの力士は、勝負師でもあるんです」
角界に入った力士たちは、番付によって呼び名が変わる。一番下の呼び方は、ふんどし担ぎなどに使われる「相撲取り」。これは現役力士からすれば、最も屈辱的な呼ばれ方らしい。
その次が「お相撲さん」。そして力士、関取、横綱と番付に応じて変化していく。一つでも番付を上げるために精進を重ね、土俵の上で真剣勝負を繰り広げる。旭道山の話は現代において賛否あるかもしれないが、いずれも同じ「大相撲の世界」に関する話である。
1984年にその歴史に幕を閉じるまで、現在の両国国技館の役割を担っていた蔵前国技館。 1980年に初土俵を踏み、「蔵前相撲」の経験もある旭道山に「力士の姿勢とは何か」聞いてみた。
「時代にそぐわないかもしれませんが……土俵の上でケガをしたら、たとえ立てなくても立つ。土俵の上で寝るなんて、力士にとっての“死”を意味しますから。そして、引きずってでも歩く。痛い顔一つせずに花道を下がり、風呂場で人知れず痛がればいいんです。ただ周りには明日の敵になるかもしれない力士がいるわけですから、あくまでも人知れずね(笑)。それが力士の美学。力士の姿勢だと思っています」
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