今や日本中の人々がその名を知る天才棋士・藤井聡太七段(16)も、ほんの2年前まではプロ棋士ですらなかった。2016年10月1日、史上最年少の14歳2カ月で四段昇段を決めプロ入りするまでは、棋士養成機関・奨励会の一員だった。当時中学生だった藤井七段にとって、永世七冠を達成し国民栄誉賞も受賞した羽生善治竜王(47)は、文字通り「雲の上の存在」だった。プロ入りからもうすぐ2年。藤井七段が抱く羽生竜王への思い、目指す棋士像とは、どんなものか。
藤井七段が生まれたのは2002年7月19日。この頃の羽生竜王と言えば、史上初の七冠独占から数年が経過し、タイトルを3つ4つと当たり前のように保持していた時期だ。羽生竜王は1991年3月に棋王位を獲得して以来、1つ以上のタイトルを保持しているため、藤井七段は羽生竜王が「無冠」である時期を見たことがない。「羽生竜王は、私が将棋を始めるずっと前から将棋界のトップで戦われてきているので、本当にとてつもなく偉大な存在ですね」と語るのも、とても自然だ。
あまりに遠くにいる者は、その存在をリアルに感じ取ることも、意識することも難しい。将棋界の頂点にいる羽生竜王を、当時の藤井少年が将来の対戦相手と考えろというのも無理だったかもしれない。「自分が奨励会のころは、本当に雲の上の存在というか。なので意識するまでもなかったというか」と笑った。確かに存在はするが、プロの舞台で盤を挟むなど夢のまた夢。奨励会員の多くも似たような感覚を持っているのだろう。
プロ入り後、まもなくAbemaTVの「炎の七番勝負」で非公式戦ながら初対局で初勝利。公式戦で連勝中だったこともあり、大きな話題になった。そして今年の2月、朝日杯将棋オープン戦準決勝で、公式戦初対局。ここでも勝利し、その後の棋戦最年少優勝へとつながった。「プロになって対局する機会もありましたし、その中でも羽生先生は実際に盤を挟んでみないとわからない強さを感じることができたかなと思っています」と謙虚に語るが、天上人とも言える羽生竜王に勝ったことが、藤井七段にとって絶大な影響を与えたことは間違いない。
理想とする棋士像も、羽生竜王と似たものが出てきた。「棋士として将棋の可能性を探求するというのはもちろんですけど、一方で将棋の魅力というのを多くの方に知っていただけるというのも、それも棋士の大切な役割。棋士としてそういう存在になりたいです」と語った。羽生竜王がタイトル戦など大事な対局の間でも、将棋普及のために取材やイベント出演を断らないというのは有名な話。そんな姿を藤井七段もしっかりと見ている。最年少でのタイトル獲得や、羽生竜王の着想から生まれた超早指し棋戦、AbemaTVトーナメントでも、予選を土付かずの4連勝で決勝トーナメントに進んだ。1回戦でぶつかる相手は、強敵・増田康宏六段(20)。この対局でも、きっとファンに将棋の魅力を伝える会心の一手を見せるはずだ。
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