19年ぶりに誕生した日本出身横綱もわずか2年で力尽きてしまった。横綱デビューとなった2017年春場所、左胸周りの負傷により休場濃厚と思われた状況で強行出場し、千秋楽で大関照ノ富士に本割、決定戦と連勝して大逆転優勝を果たしたのは記憶に新しい。しかし、日本中を歓喜の渦に巻き込んだ優勝の代償はあまりにも大きく、その後は横綱としては史上ワーストとなる8場所連続休場。進退を懸けて臨んだ昨年秋場所は10勝をマークしたものの、その後は1勝も挙げることができずに土俵を去った。
時間はかかったものの、白鵬をも一発で吹っ飛ばすほどの強烈な左おっつけを身につけると大関から横綱へと駆け上がった。しかし、感動の新横綱優勝と引き換えにケガでその最大の武器を失ってしまった。角界最高位に上り詰め、年齢も三十路の大台を超えていながら、新たな“必殺技”をゼロから構築し直すことを余儀なくされた。それは心身ともに筆舌に尽くしがたい苦しみを伴ったに違いない。左を差し、右上手を引きつける四つ相撲に活路を見出そうとするが、巡業での稽古では格下相手に圧倒される場面も少なくなかった。
「(左胸周りのケガは)徐々によくなってきましたが、自分の相撲が取れなくなってケガをする前の自分に戻ることができなかった」と引退会見では、もがき苦しんだ横綱昇進後の2年間をそう振り返った。
横綱在位12場所の勝率は36勝36敗(97休)の5割で歴代最低の数字だ。左おっつけに代わる最大の武器を確立することなく、数々の不名誉な記録を更新して土俵を去ることになってしまったが、存在感の大きさは過去の大横綱にも勝るとも劣らないものであり、連覇を果たした2年前の初、春場所は紛れもなく最強だった。そして、同時代に生きた日本人の心を熱くしたあの逆転優勝は、永遠に語り継がれることだろう。
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