「普通に芸能人にしたいというだけ。差別・偏見はなくならないが、減らしていけるとは思う」。
来年に迫った東京パラリンピックを前に、映画や芝居に引っ張りだこの"障害者専門プロダクション"がある。映画プロデューサの国枝秀美氏が代表を務める、一般社団法人「K’sスペシャルニーズエンターテイメント」だ。
立ち上げのきっかけは2007年。自身がプロデュースした、知的障害者施設を題材にした映画に障害児が出演したことだった。「たまたま同業者に障害者のタレントを子どもがいる方がいた。"国枝さん、日本って遅れているんだよ、欧米は凄いんだよ"と映像を見させてもらって、驚いた。普通のドラマに障害者を出演させていて、インパクトが全く違った。今から考えればすごく恥ずかしいが、それまでは偏見を持っていた。周りにいない、知らない。そういうところからきていた」。
障害のある子どもたちに対し、当初はどう接すれば良いかわからなかったというが、撮影を通じて自分が変わっていったという。「かわいい、愛おしい、そして自分ができることはあるのだろうかと思った」。
そして自閉症・ダウン症などを抱えた知的障害児・障害者専門のプロダクションを設立する。2年前に現行の組織になり、今は5歳から20歳代までの12名が在籍、歌唱・ダンス・演技・表現・殺陣のレッスンを行う。「ショッピングモールなどで開かれる福祉系のイベントに"無料だけれど出ませんか"と言われることが多い。それも経験だと思う。おかげさまで、再現ドラマや映画に呼んでいただいくことが増えてきた」。
障害により得意・不得意はあっても、歌やダンスの表現力はとても豊かだという。レッスンを受けている彼らの中には将来はダンサーになりたいと話す人もいる。「芸能界の仲間が助けてくださって、本当にスペシャリストの指導が受けられる。幸せなことだ」。指導する講師は「音程が取れるかとか、リズムが取れるかとか物理的なものは色々とあると思う。顔つきや体つきやそういう表現をするという楽しさ、楽しく表現をしてくれるという意味ではそこがかなり勝っていると思う」と話していた。
■「親亡き後が不安」
2020年春の公開を目指して撮影が進む「車線変更-キューポラを見上げて-」。足が不自由な青年が様々な葛藤・悩みを超えてパラリンピックを目指す物語で、国枝氏のプロダクションに所属する障害者も多く参加している。
埼玉県川口市で行われている映画の撮影現場を取材すると、中度の知的障害を持つ中村龍さん(15)さんが、監督の指示通り、見事に演じきった。「本当にこの子たちが家でどれだけ努力してここまでたどり着いたかとか、ただ現場にポッと来てお芝居をしているように思われてしまうけど、裏で努力している家族もいる」と国枝氏。
電車などの絵を描くことが大好きだという龍さんは、今年度中学校を卒業し、春から養護学校に入学予定だ。国枝さんのもとで、俳優の道を目指している。しかし母親の優子さんには、将来について大きな不安があると話す。
「やっぱり、親亡き後が不安だ。いつ私も死ぬか分からない。そういう時にどうしたらいいのだろうと思う。障害のある子を持つお母さんたちは、お子さんのためにグループホームを立ち上げることもあるが、私も半分本気で作ろうと思っているくらいだ。そうやって、色んな人に息子の存在を知ってもらうことも一つの方法なのかなと思う」障害を持つ子どもの親なら誰もが抱える悩み。優子さんが出した答えが芸能活動の道だった。龍さんと優子さんは、自宅で演技の練習に熱心に取り組んでいた。
■「朝ドラに出てみたい」
ダウン症がある小池里佳さん((23)は、お芝居を中心に活躍している女優だ。大手企業での清掃の仕事を朝の7時半から午後2時半までしており、それが終わると、すぐにレッスンに向かうという。一昨年の7月には、国枝氏のプロダクションの舞台公演で主演を務めた。「舞台は緊張しなかった。セリフは耳から覚えられるので暗記した。長いセリフもあって難しいができる。練習は一人で全部した」と小池さん。
国枝氏によると「障害者が演じるので、言いたい事を言ってしまうような脚本にしている。健常者では言えないことを演じてもらっている。躊躇しないので、本番に強い。お客様が入っていると、みんなすごい」と話す。
「本当はアイドルの方と共演したくて、この世界に入ってきた」(国枝氏)という小池さん。憧れのタレントについて尋ねると、ためらいがちに「嵐の相葉君です。演技がうまいところ。紅白を見ていて、一緒に歌いたいと思っています。松下奈緒さんのような女優になりたい。朝ドラに出てみたい」と明かし、将来の夢について「全国の皆さんに伝わるような女優になりたい」と目標を語った。
■乙武氏「一度もCMに出演したことがない」
作家・乙武洋匡氏の小説「だいじょうぶ3組」(講談社)の映画化作品にも、国枝氏のプロダクションに所属していたダウン症の女優が出演したという。
乙武氏は「ダウン症のお子さんが重要な登場人物として出てくるので、映画化されるときにはその役の方が必要になる。とても演技が上手で、絶対にNGを出さない。逆に、周りの役者さんがNGを出しても淡々と同じ演技を繰り返してくださって、すごく素敵な方だった」と振り返る。
そんな乙武氏も、障害者と芸能界について長らく問題意識を抱いていたという。
「大学生の時、アナウンサーの試験を受けようと思ったことがある。というのも、当時は障害者がテレビに出る機会は24時間テレビや、"お涙ちょうだい"のドキュメンタリー番組しかなかった。そうではなく、毎晩7時になったら車いすのキャスターがやってきて、普通にニュースを伝えるようになれば、皆さんも慣れていくだろうと思った。これは時効だろうから言うが、15年くらい前、ある民放キー局でトレンディードラマに出演することがほぼ決まっていた。ところが主役を務める俳優が局と脚本家の方に掛け合って、私を出演させることをやめさせた。その俳優が何年か前に障害をテーマにした作品に出演していたので、"もういいじゃないか"、とおっしゃられたそうだった。私は主役でもないし、障害をテーマにした作品ではないということで局側が説得してくださったが、結局ダメになった。エキストラであっても、障害者が出ることが意味を帯びてしまうのが日本だ。このような風潮を変えていかないと、障害をテーマにした作品にしかお呼びがかからない。私は3年前からイメージが悪いが、それまでは結構イメージが良かった(笑)。でも一度もCMに出演したことがない。人気のあるなしとは別に、障害者を使うのは…という厚い壁がある」。
その上で、「このようなプロダクションが成功するかどうかは需要がかかってくると思うが、日本では障害をテーマにした作品じゃないと障害者が出る機会がほとんどない。しかし、アメリカの人気ドラマ『glee』には、普通に障害者の子がコアな登場人物として出てくるが、そこに意味はない。そういうのが素敵だと思っている」と指摘した。
■「できれば民放でバラエティーに出したい」
「流れが変わってきたことを肌で感じているか」と尋ねると、国枝氏は「パラリンピックの前だからだ。障害者に目を向けていただいてはいるが、現場の空気間でいうと、頑張っているアスリート達が(パラリンピックが終われば)また日の目を見なくなるのではないかと言っている人も多い」と話す。
「売り込みに行けばうまくいく、と思い込んでスタートしたが、"美しく"断られた。"そういうことはそちらでやられた方が…"という感じで、"そちら"と"こちら"を分けてくるというものだった。12年前にも感じていたことだが、今もあまり変わっていないように思う。私が常々思っているのは、障害者のタレントを健常者のタレントと同じ土俵に乗せたいということ。社会は勝手に福祉側に線を引くが、それは皆さんが勝手に引いているものだ。私たちの中では戦うべき相手は健常者のタレントたち。できれば民放でバラエティーに出したい。障害者が面白いことをやって笑わないのは逆差別だと思う。この子たちはすごく面白い」。
















