「報道とは加害行為との自覚を」”マスゴミ”と呼ばれるTVニュース、視聴率や演出はどこまで追求すべき?
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 日々起きるニュースを分け隔てなく取材し伝えるはずの報道番組。しかし、災害報道、事件、事故などを扱う際には、「人が亡くなっているか」「画が派手か」など、ニュースを選ぶ上での独自の判断基準も存在するようだ。その背景には「視聴率」の問題も横たわる。

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 AbemaTV『AbemaPrime』木曜MCのふかわりょうも、そこに疑問を感じている一人だ。「私のたっての希望で特集を組んでいただいた。我々は報道番組の現場で葛藤や疑問を感じることも少なくない。それを共有して、報道を考えるきっかけになればいいと思っている」。番組では、メディアが命を取り上げるということについて、およそ1時間にわたって議論した。

■メディアは命を雑に扱っている?

 元NHKアナウンサーの堀潤氏は「忘れられないのが、トップのネタがないと悩んでいる時に、上司が火事の一報の映像を見て"よし、燃えてんな!トップにいけるか?"と言った。家の中にはまだ人がいるかもしれないのに。"番組トップを飾ることのできる華々しい映像"の魔力に吸い寄せられている現場にこのまま居続けたら、取り返しのつかないことになるんじゃないかなと感じたこともあった」と証言する。

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 番組が調べたところ、「映像が強い:昼の火災より夜の火災」「死者の有無:死者がいるとリアリティ・緊張感を持たせる」「死者の数:事件・事故の規模が大きいほど注目される」「被害者が誰か:子供は注目が高い・障害者はネタにならない」といった考えをベースに人命に関わるニュースを選定している放送関係者もいるという。

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若新雄純(慶應義塾大学特任准教授):死者が出ることによって初めて大きなトピックとして報道され、注目されるという構造がある。しかし本来、死者が出たこと自体は僕らが知るべき情報ではなく、それが起きてしまった背景や、気をつけるべきことこそ知るべき情報のはず。にもかかわらず、まだ死者は出てませんよね、そこまで被害者は出てないんじゃないですかね、ということで報じられない。これは報じる側が線引きをしているのか、それとも見る側が死ぬか死なないか線引きをしているからなのか。

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石井てる美(お笑い芸人):見ている側にも亡くなったかどうかが事の大小の判断基準になっているという部分があるのではないか。

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小川彩佳アナウンサー:番組づくりの中でそういう議論がされることもある。流しっぱなし、投げっぱなしにするのではなく、何がいけなかったのか、どういう解決策があるのかを議論し、繰り返し報じることに意味があるのではないかと。ただ、悲しみにフォーカスすることで、より共感やリアリティを持って見てもらえるし、悲劇を繰り返さないようにと思ってもらえる部分もあるのではないか。

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柴田阿弥(フリーアナウンサー):私もAbemaTV『けやきヒルズ』を担当していて、やっぱり"命のネタ"は扱う時間が長くなる。なぜなら、そこには注意喚起の意味もあるから。でも、当初の目的を忘れてしまい、"そっちの方が引きがあるから"と思ってやってしまっているケースもあるかもしれない。そして、そのことが視聴者に伝わってしまっているのではないか。

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安倍宏行(ウェブメディア「Japan In-depth」編集長、元フジテレビ報道局解説委員):やはりストレートニュースは報道しっぱなしで、解決策は別の番組やドキュメンタリーなど、違うところでやればいい、という考えがあった。しかしそうではなく、ストレートニュースの中でもきちんと扱おうという"建設的ジャーナリズム"の考え方も出てきていて、記者たちによる勉強会も立ち上がってきている。

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ふかわりょう:病院をフィーチャーしたドキュメンタリーがあった時に、患者さんが亡くなるシーンが出てくる。子どもの頃は看護師さんって大変だなと思って見ていたが、今となってみれば、もしかしたら予め亡くなりそうな人をリサーチした上での演出だったのかもしれないとも思う。そして、それが必ずしも悪いことだとは言い切れないとも思う。そこに矛盾というか、葛藤を感じる。

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山田俊浩(週刊東洋経済編集長):亡くならないと報道されないというのはメディアだけの話でなく、警察や企業でも犠牲がないと動かないことはある。逆に言えば、それだけ命が失われるということには敏感だが、そうではないと油断してしまうし、平和ボケしてしまうという弱さを人は持っているという意識が必要だ。

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ふかわ:例えば大きな地震が起きた時、どの番組をつけても死者が何人と出つづけている。私はあれにも違和感がある。被害を伝えることは大事かもしれないが、死者数を大きな文字で点灯し続けることは、むしろ命を雑に扱ってしまっているように思える。

安倍:ずっと見ている人だけでなく、パッとその時だけ見る人もいる。大地震の場合、テレビが映す死者の数は"デスカウンター"というわけではなくて、それが増えることによって事実をリアルに伝えようという姿勢の現れなのではないか。

小川:私は伝え手としては言葉に関して違和感を覚えることがあった。例えば「死傷者」という言葉があるが、命が失われているという重みと、軽傷であれ重傷であれ、負傷とは違うと思う。亡くなった方が3人いて負傷者が100人の時も、その逆でも「死傷者103人」となるが、そこはもう少し丁寧な伝え方をするべきなのではないかと考えて、番組として分けてお伝えするような工夫をしたことがある。

■犠牲者は実名で報じるべきなのか?人物像を報じる必要はあるのか?

「人が死んだ辛いニュースを見たくない」「遺族とかにインタビューは必要?」「模倣犯を生むだけでは?」

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 視聴者の中には、報道番組にそんな感想を抱いている人も少なくないだろう。

 街の人に話を聞くと、「あくまで事実を伝えるべきであって、面白くというか誇張して伝えるというのは、ちょっとどうかなと思う」(会社員の男性・28歳)、「いろんな局が過熱して争うように報道するのは意味がないと思う。どこか1局でいいじゃんって。人がそれでいっぱい現地に入って現地の障害になってしまうのは見ていて効率が悪いと思う」(会社員の男性・24歳)という声も聞かれた。

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ふかわ:自殺した子が、クラスではこういう子でした、同級生は"あんなにいい子だったのに"と言ってます…という具合に、感情移入させたいのか、人格を与えていく風潮もある。その部分はなぜ必要なのだろうか。

若新:僕らが面白いと思って見てしまう番組には、事実だけ淡々と並べられているのではく、ストーリーがあると思う。僕らはストーリーに感情移入しやすい。例えば誰かが亡くなったという事実だけではなく、その人はこういう人だった、周りはこんな風に悲しんでいる、というのがストーリーだ。しかしストーリーというのは、あくまでも一つの解釈。それが重視されているところに問題があるのかもしれない。

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山路徹(ジャーナリスト、APF通信社代表取締役):実名報道と仮名報道があって、最近ではA、B、Cという呼び方で報じることもある。ただ、実名で報じたり、人物像に触れたりすることで、視聴者の感情に非常に大きな影響を与えることもできる。たとえば横田めぐみさんが"Aさん"として報じられていたとしたら、拉致被害者に対する我々の感じ方、距離感は違っていたのではないか。そして、逆にそれがフィーチャーされすぎると"ヤラセだ"とか、"お涙頂戴だ"と言われてしまう。それでも我々に与えられている時間は番組の中で数分から数十分。限りのある時間の中で、思いやテーマや伝えようとすると、当然そこにストーリーが生まれる。

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中山正敏(リポーター、『情報ライブ ミヤネ屋』などに出演):もし自分の子どもが自殺したとしたら、名前も出ずに"自殺した女の子がいる"だけでなく、こういう子で、実はこんな夢を持っていた、と報じてもらって、悲しみを共有してもらいたい、生きていたことを覚えておいてもらいたい、と思うかもしれない。ただ、親御さんや友達を大勢の報道が取り囲んでいるような状況は視聴者にとって違和感があるものだと思う。難しいと思う。

■取材される側のストレス

ふかわ:もちろん命の尊厳を傷つけるものを電波に乗せてはいけないはずだが、結果的に命を軽視する映像になってしまっていると感じることもある。ご遺族に家に入って行って、強引に"今の心境を"と聞いている昔のニュース映像を見た。今では考えられないことだが、やはりネットが無い時代はマスコミに逆らう術がなく、取材を受け入れざるを得ない面もあったのではないか。メディアの報じられ方は是正されてきたのだろうか。

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中山:現場取材では、どういう状況なのか分からないまま、今そこにいる人に声をかけに行く。話しかけていいのか、答えていただけるのか、そういった葛藤は常にある。"少しお話伺えますか"と話しかけ、状況を聞いて、大丈夫であれば伺っていく。

安倍:新聞の写真だって、昔はもっとえげつなかった。だから日本新聞協会も民間放送連盟も議論を重ねて、メディアスクラム(集団的過熱報道)はやめようという申し合わせができていった。やはり社会の見る目が昔とは全然違うし、批判を受け止めて、良い意味での自主規制をするようになったと思う。一方で、悪い自主規制もある。それが進めば、今度は何も報道しなくなるし、国民の知る権利を侵害することにもなる。

山路:やはり報じる側と報じられる側ではものすごく違う。僕は取材者として物を伝えてきたが、ミャンマーでうちの長井健司記者が射殺された時には取材される側になった。外務省やご遺族と連絡を取りながら、事件の処理もしなければならない中、会社にメディアが押し寄せてきた。周辺の人たちにも迷惑がかかるので、別の場所に移動させて囲み取材も受けた。早く一報を出さないといけないというメディアの使命も理解できるが、取材される側のストレスには大変なものがある。ただ、事件・事故、災害報道は常に何かの犠牲の上に成り立っているという宿命もあると思う。そこでどれだけ自分を律することができるかだろう。

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森達也(映画監督・作家、『A』『FAKE』):難しい問題だが、どういう場合でも違和感は残ると思う。僕は報道というのは決して美しい行為ではなく、ある意味で加害行為だと思う。遺族を傷つける場合もあるし、見ている人を傷つける場合もある。でも、傷つけるだけの力があるということは、同時に訴える力にもなる。戦争で女性や子どもが血まみれで倒れている様子を見た方、遺族は傷つくかもしれない。でも同時に、こういうことをやってはいけないんだという気持ちも持つかもしれない。だからメディアは人を傷つけているんだという意識を持った方が良いと思う。

ふかわ:誰も傷つけないということはあり得ないのか。

森:基本的にはあり得ない。他愛ない料理番組だって、それを見ながら、過去のことを思い出して、傷口に塩を塗られる気持ちになる人もいるかもしれない。でもそれを恐れていては何もできなくなってしまうし、覚悟するしかない。

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震災後、ドキュメンタリー映画『311』の監督として被災地を取材するため、すぐに現場に行った。まだまだ瓦礫の山、そしてご遺体がある中で遺族の話を聞いた。その時点でもう不謹慎だったと思う。ただ、この映画のテーマは自分たちの葛藤だった。"遺族をなんだと思っているんだ""命をなんだと思っているんだ"と叩かれる自分たちも含めて出していこうとテーマを設定して、映画を作った。やっぱり評判は悪かったし、ほとんど誰も見てくれなかった。

ふかわ:大義としてはいいのかもしれないが、今はやるべきではないのでは、という声もあったのでは。

森:でも、"今だから"というロジックも成り立つと思う。"今はやるべきではない"というのは、不謹慎だから自粛すべきというロジックが原動力になっている部分が多い。よくよく考えて、それでも今やるべきだと思ったらやるし、当然叩かれることもある。しかし、それは今のテレビではできないことでもある。

■メディアが利益を追うのは当たり前

若新:今まさにテロップに「報道に演出は必要か?」と出ているが、先ほど安倍さんは、視聴者は受け身で、流し見だとおっしゃった。よく考えたら、確かにドラマは頭から最後まで真剣に観るが、こうして報道番組に出ている僕でさえ、ニュースを頭からお尻までテレビの前に座ってちゃんと見ていることはないと思った。ニュース好きの人でも身支度や家事をしながら、気になる言葉が出ると視線を向ける。この番組だって、2時間ずっとスマホで見続けている人は少数派なのではないか。つまり報道番組というのはテレビの役割の中で重要な位置付けであるにもかかわらず、視聴者の側はなんとなく流していたり、たまたまチャンネルを変えたりしているときに止めて見るというものになっているので、作る側もその前提で作っているのではないかと思う。昼のワイドショーに出ていて、なんで「ショー」というのだろうと思っていた。深夜に淡々とニュースを流しているBSの番組とは明らかに違う。「このチャンネルの、この展開に釘付けになってもらいたい」という思いがあると思う。

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ふかわ:テレビはチャンネルを変えられてしまうかもしれないという宿命からは逃れられない。だからといって、平坦なところを削ぎ落とし、美味しいところだけをつなぎ合わせるだけではいけないと思う。しかし、やはり演出は入ってしまう。

安倍:いまはワイドショーとは言わずに情報番組と言ったりするが、もちろん演出は入ってくる。BGMもそうだし、VTRもナレーターやアナウンサーに声を入れてもらう。それは視聴者の目を釘付けにするためだ。当然、人気アナウンサーを起用するのもそのためだ。

ふかわ:例えば災害報道を見ていて、現実を伝えることよりも視聴率を上げることに軸足を置いているのではないかと疑問に感じることがある。ラリーの中継で、観客席に突っ込む事故が起きる。すると命が大丈夫なのかどうかのところでCMまたぐことがある。これは視聴率のために命を粗末に扱っているとは言えないか。ただ、視聴率を重視することは本当に悪なのか。

若新:ストーリーに加えて、そこにCMまたぎなどがあると、さらに視聴者が感情移入していくという面もあると思う。

石井:結局、見たがっているというのがどこかにあるのかなとは思うし、報道する側が一人でも多くの人に見てほしい、知ってほしいと思うことと、数字を取りにいくということは言い方が違うだけで同じなのかもしれない。でも、そこにテレビ的ないやらしい手法が盛り込まれていると、視聴者はそこの意識に気づいてしまうのかもしれない。

森:加害性を自覚することで、CMまたぎのようなことはしなくなると思う。やはり結論としては、矛盾や葛藤はあって当たり前。例えば戦場の場合、たくさんの女性や子どもも殺されるが、それを伝えずして戦場の何を伝えられるのか。やはりそれが一番大事なところだし、コンテンツ作りの矛盾でもある。

大前提を言えば、営利企業である以上、メディアも利益を追うのは当たり前だ。それがテレビの場合は視聴率、新聞や出版だと部数を必死に追う。その中において、こういうふうにフレームアップしていいのか、などの葛藤が出てくる。つまり、"営利を求める会社としての論理"と、"ジャーナリズム、個としての論理"だ。それに個人が負けてしまう場合もあるが、葛藤をどれだけ残せているかが重要だ。

ふかわ:営利を求めるのは仕方がないとして、視聴率のために人の命がコンテンツになってしまうのは良いのだろうか。

安倍:命をコンテンツ化しようなんてどの記者も思っていないと思う。私も3.11の時には、位牌を取り出したいというおじいちゃん・おばあちゃんに会って、何かちょっとでも助けになりたいという気持ちで泥かきをした。命をコンテンツ化なんて絶対にしていないし、そんな記者はいないと僕は信じたい。

山路:伝えるという使命の対局にあることだが、利益がないと報じることもできなくなる。現場の記者はみんな職業的良心に基づいて現場に取材に行っている。ただ、災害の期間を過ぎて報道を振り返る段階になると、やはり"あれはあの局の方が数字とか取った"とか、視聴率が評価基準になることは否めない。

昔、筑紫哲也さんとお話をしたときに、「視聴率が取れすぎていないか」と仰っていた。つまり、そもそも報道番組が視聴率を取れるということがおかしいんだと。数字が取れるのは誤魔化したり、何か面白さを入れたりしているからだと。やっぱりストーリー性もそうだし、センセーショナリズムもそうだが、見てもらう努力でばかりが先行してしまうと、健全な報道番組はできないのかもしれない。僕は報道番組からもスポンサーを外した方が良いと思う。本当に究極。

■メディアの"ご都合主義"

安倍:ふかわさんの違和感の原因は、演出の問題以外に、テレビや新聞も含め、今のジャーナリズムが深い解説、分析、調査報道や継続報道を失っていることもあると思う。若新さんの言う解決策のようなものはネットにあって、テレビや新聞にないではないか、という感覚が視聴者にはある。だから僕はテレビを辞めて解説メディアを作った。

森氏:テレビ朝日でいえば、『ザ・スクープ』という番組ももうない。あのニュースはそれからどうなったんだ、どんな裏があったのか、どんな事実がわかってきたのかということを伝える枠が、ほとんどテレビ局にない。個人としてはやりたいと思ってもその枠がない。要するに、視聴率が取れないから、会社として、局としてその枠を提供してくれない。もう一つは、戦場報道もほとんどない。危険なので、労働組合の問題もあるから。いずれも組織メディアであって、当然みんな会社員だから。でも、それと同時に個人としてはジャーナリストでもある。自分が現場で何に対して怒りを持ったのか、悲しみを持ったのか、それをどう伝えるのか。その矛盾が欧米のメディアの場合はまだ少ないので、日本の組織メディアはほとんどもういなくなってしまっている戦場にもCNNやABCはいる。

山路:メディアがご都合主義みたいになっているところはあるということ。例えば福島第一原発の事故直後、誰がどれだけ周辺に取材に入りましたかと。取り残されている方が山ほどいるのに、コンプライアンス、安全の問題から、各局が50km圏内に入るなと。郡山駅だって50km圏内だ。郡山にいて、どうやって取り残されている人の様子が伝えられるのか。行ったら行ったで文句を言う人が出てきたりするもするが、僕らみたいなフリーランスが現地に行く。ただ、テレビ福島の局員には出会った。「よく来れたね」と言うと、「実は休暇を取って、プライベートで来た。会社としては認めてくれない。でも、ここは僕の生まれ故郷だから」と。どの局の人も、個人としては現場に行きたい。ところが様々な問題で実現できない。

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柳瀬博一(元日経BP、東京工業大学教授):JICAの仕事で池上彰さんと南スーダンやルワンダに行った。皮肉な話だが、メディアがいなくても、青年協力隊やUNCTADなどに、優秀な日本人女性が集結していた。元大学教員や元金融機関の社員など、ピカピカのエリートたちだった。帰国後、当時JICAのトップだった緒方貞子さんに「あんたたちダメな男たちがいるから、優秀な女が世界に出てそういうところで働いているんだよ。反省しなさい」と怒られた。そして、こういう実態すらも報道されていない。

安倍:誤解してもらいたくないが、様々な事件現場に日本人記者はいる。びっくりするくらい。あまり報じられないだけで、日本は他国に比べて海外のニュースもやっている。

■アナウンサーは感情を表に出すべきなのか

小川:これはちょっと別の話になってしまうかもしれないが、ニュースが切り替わったときに、アナウンサーの表情がガラッと変わることがある。非常に悲惨な事故の話題の直後にエンタメ性の高い話題が続いていると、「では続いてのニュースです」と言った後ですぐに表情が変わる。それももちろんアナウンサーとしての一つの役割かもしれないが、事件や事故に思いを馳せていればいるほど、すぐに切り替えられるものではないし、もしかしたら見ている方が違和感を覚えたり、メディア側の軽薄さを感じたりしてしまうのかもしれない。

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ふかわ:だからそこの報じ方というのはあるかもしれないが、とはいえキャスターが泣いていたらそれはそれで違う気もする。

山田:必ず何か言う人はいるが、それは気にしすぎではないか。ニュージーランドでの乱射事件の際にエキサイトしながら報道してしまっているのを見かけたが、それでも日本のメディアは丁寧に気を使いながら報じているということができているとも思う。

森:あの乱射事件では、ニュージーランドの女性アナウンサーがブルカを付け、イスラムに対するヘイトへのアンチを全身で示していた。欧米の放送局の場合、そうやって個が自分の主張を伝えることができる土壌がある。小川さんがおっしゃったように、日本の女性アナウンサーが普通にアナウンスするのではなく"添え物"的な要素を要求されてしまっているからこそ、そうした葛藤や矛盾がより大きくなってしまうのではないか。普通に怖い顔をしてやっていればいいと思う。

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柴田:学生時代、なんでアナウンサーは感情なしで言うんだろうと疑問を持っていたある時、小川さんがテレビで泣きながら伝えているのを見て、この方が絶対いいと思った。自分が気になるニュースなら、ちゃんと感情を伝えた方がいい。噛まないという意味ではAIの方が上手いし、むしろ読むだけのアナウンサーは絶対にいなくなってしまうと思う。

安倍:山田さんがおっしゃった、日本のメディアは抑制が効いていていいねということだが、逆に抑制が効きすぎているという面もあると思う。

東日本大震災の時、我々は遺体の映像を一切長さなかった。実は民放連に100人以上の記者が集まって、遺体が浮かんでいる、流されている映像を見ながら、これをなぜ流さなかったんだろうかと議論した。カメラを回せば当然現実が映る。欧米のメディアはそれを普通に出している。でも日本のテレビや新聞は出さない。なぜなんだろうかと。分からない。いつからか自粛してしまっている。

ふかわ:引っかかってしまうのはそこ。私の考えが間違っているのだろうが、被害の大きさ、悲しみは数字だけでは表せないし、どこか"テレビ的"な報じ方が教科書のようになっていて、これはテレビ的だ、これはテレビ的じゃない、そうなっていないか。

中山:おっしゃる通り。だが、やはり見て分かるという重要性もあるし、そして僕らが現場に行ってその数字の重みを何とか皆さんにお伝えできないか考えている。

■役割分担の時代になるのか

柳瀬:僕は森さんの『A』という映画が印象に残っている。これはオウムの側からレンズを覗いた作品だ。記者会見などがそうだが、テレビというのは概して同じようなフレームで撮る。しかしパースペクティヴを一つ変えるだけで、実は大したことなかったり、実は他にもっと悲惨なことがあるということがわかったりする。これは報道を考える時にすごく重要だ。

そこでみなさんに伺いたいのは、この10年で、スマートフォンとSNSによって"誰でもジャーナリスト"の時代になった。そんな中で、プロフェッショナルな報道の意義というものがどのように変わったのか。

山路:SNSで世界の裏側のことまで瞬間的にわかるので、ジャーナリストが危ない思いをして戦場にまで行く必要はないと思われるかもしれない。でも、日本人が日本の感覚で現場に行って、日本人が見るべきものを日本語で日本の視聴者に伝えるということが大事だ。SNSでなんでも見られるからと言うが、それでは何も見えていないし、逆に現実が遠くなっていると思う。

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安倍:ストレートニュースを流す普通のニュース番組と、そうじゃない部分に焦点をあてる番組というのは、テレビの中でやってもいいし、別のメディアがやっていい。私どものようなインターネットでもいいし、映画でもいい。テレビのニュース番組なんて、1日のうち全部足しても3時間もない。それで全てがカバーできるわけがないので、調査報道と継続報道の部分というのはいろんな形でいろんなメディアが補完すればいいという考え方もある。

ふかわ:テレビが伝えるもの、ラジオが伝えるもの、ネットが伝えるものが全て一致している必要はないし、それぞれに得意分野・不得意分野がある。テレビというメディアは非常にたくさんの人に伝えることができる一方、それによるデメリットもあるということ。

森:メディアは社会の合わせ鏡。マスゴミという言葉があるが、100歩譲って、日本のメディアはマスゴミかもしれない。でもそれは社会の側にも問題があるということ。情報を受け取る側、つまり社会の側のメディアリテラシーも必要だ。情報というのはどのようにできているのか、そこに市場原理がどのように働いていて、それによってどのように加工されるのか、という視点が絶対に要る。メディアはみんなが求めるところを伝えようとする。でも、視点を変えれば違うものはいくらでもできる。そうしたメディアリテラシーを社会の側も身につければ、メディアはもっと賢くなる。

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