滋賀県大津市で起きた事故を受け、報道のあり方について、メディアに対する批判が高まっている。
とりわけ園児や保育士が巻き込まれたレイモンド淡海保育園が開いた会見では、泣き崩れる若松ひろみ園長に次々と質問を浴びせた記者たちに対し、質問内容やその必要性について厳しい意見が殺到。
また、亡くなった原田優衣ちゃん(2)と伊藤雅宮ちゃん(2)の遺族は9日、滋賀県警を通じて出したコメントの中で、「私たちの心情をお察しいただき、自宅や葬儀会場での取材や写真撮影をご遠慮いただきますようお願い申し上げます」「自宅周辺、近隣葬儀場等における取材・撮影等はお断り致します。私共としても安らかに娘を旅立たせようと思っております」と、報道各社に配慮を求めた。
AbemaTV『AbemaPrime』の視聴者からも、
「子どもを失ったばかりの親にこんな文章を書かせるほど自粛できないんだな」
「上から目線でモラルを説きながら。最もモラルのない業界なのではないか」
「死亡事故はこれまでもあったはずなのに、なぜもっと真剣に取り上げてこなかったのか」
「殺人事件も含め、人が亡くなったことをエンタメのようにしてしまうのは今回限りではない」
といった意見が寄せられた。その一方、「報道のおかげで、親と免許返納について話し合うことができた」という意見もあった。
ふかわりょうも、「他にも事故は起きているはずだが、なぜ大津の事故だけがこれだけ多く報道されているのだろうか。献花台の前で泣き崩れている人を取材する意味はあるのだろうか。そういう報道の方法も問われている」と話す。
これに対し、週刊東洋経済の山田俊浩編集長は「"幼い子ども"というのが人の関心を呼ぶところだから、という理由もあると思う。もちろんそれは"命をネタにしている"という見方もできるのかもしれない。ただ、多くの人が注目するということは、もう一度安全を徹底しよう、という動きが広がることにもつながると思う。一方を見れば"メディアというのは本当にクソだ"という言い方もできるが、取り上げたことによって啓発や、考えてもらう機会になることも事実」と話す。
慶應義塾大学の若新雄純准教授は「小さな頃から、テレビがわざわざ泣いている人と"号泣"という2文字の漢字を映すことが気になっていた。ただ、その泣いている姿や"号泣"の2文字があるからこそ人々がチャンネルを止めて見てくれる、という効果もあると思う。だからこそ、吟味することなく簡単に人が号泣しているその姿を映してしまえば、諸刃の剣になってしまう」と指摘した。
■「やはり遺族の意に沿った対応をしていくことが必要だ」
遺族の中にも、今回の報道に複雑な思いを抱いている人がいる。2003年、当時6歳の長女が横断歩道を青信号を横断中、左折した大型トラックにひかれて命を奪われた佐藤清志さんだ。
現在も交通事故防止や被害者・遺児を支援する活動を今も続けている佐藤さんは、レイモンド淡海保育園の会見時、交通刑務所で開かれていた加害者向けのプログラムに参加していたという。会見について佐藤さんは「いかにメディアが被害者の立場に立って取り上げるのかが大事ではないか。翌朝になって確認したが、今回の会見では、そのあたりが園長への質問に足りなかったと思う」と話す。
一方、佐藤さんは"報道にあまり取り上げられることのなかった遺族"として、次のようにも話す。
「交通事故に限って言えば、多くの方は取り上げられないままで終わってしまうことが多い。記録が残っている昭和43年以降、この国で交通事故死とゼロだった日は1日もない。日本のどこかで、誰かが必ずこういう被害に遭っている。そのことを訴えたいと思っている被害者、遺族もいる。娘の事故の場合、交差点の左折巻き込みと言われる、いわば"ありふれた""よくあるる事故"だった。しかも土曜日に起きた事故だったので、ニュース番組の枠も少なく、取り上げられることもなかった。その後、遺族の立場から色々なところで訴えている時、あるメディアの方と知り合った。その方は被害者の立場をしっかりと受け止めてくださり、裁判も追いかけて新聞に毎回載せてくださった。被害者の立場に立った取材を受けることができた、という意味で、私は非常に感謝している。もちろん、今回のご遺族のコメントにあるように、"今はそっとしておいてください"というご遺族もいらっしゃる。やはり遺族の意に沿った対応をしていくことが必要だ」。
さらに佐藤さんは保育園の会見についても、「どういう立場で捉えるか、見るかも大事だと思う。私はああいう会見もしっかり報道して頂くことで見えてくるものがあると思う。そして、それをどう捉えるかは私た一人一人にかかってくることではないか。メディアへの批判も当然出ているが、そういったことも含め、どういう形で受け止めるのかだ」と訴えた。
テレビ朝日の平石直之アナウンサーは「まず、保育園の会見の放送の仕方は良くなかったと思う。特にあの場面にふさわしくない、非常にデリカシーのない質問があったと感じている。"こんな文章を書かせるほど、マスコミがご家族を追い詰めた"という意見に対しても、そういう側面が確かにあるのかもしれない。私自身、申し訳ないと感じる部分がたくさんあった。ただ、これほどの事故が起きた時、保育園や家族には一切取材がなく、加害者側の取材だけがあればそれでいいのか。映像も編集をすべきだったかもしれないが、一切放送しなくていいのか、という思いもある。やはり佐藤さんがおっしゃってくださったように、メディアによって何かが伝わることもあるし、そこでお話をしたいという方もいらっしゃるということも知っておいてほしい。それでもメディアの取材がものすごい暴力性を伴っていて、傷ついている方をもう一度傷つけてしまうという危険を孕む仕事をしているということを強く噛み締めないといけない」と話していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)














