■「様々なアプローチで伝えていけば、届く人には届く」
悲しいニュース、辛いニュースが多くて見たくないと感じる、それはそういう演出をし、音楽をつけるようなアプローチをしているからです。子どもたちが交通事故に巻き込まれてしまったニュースだって、悲しくしようと思えばいくらでも演出できる。でも、それをやればやるほど、議論が中心点から外れていってしまうと思います。
たとえば難民問題のイメージや報道って、悲劇、苦悩、恐怖、そして衝撃的な情報に満ちあふれていますよね。でも日頃からニュースに携わっていると、人は怖いものや苦しいものからは目を背けたくなるということも感じていました。程度の差こそあれ、みんな日常生活が大変だし、必要以上のストレスには晒されたくないんですよ。じゃあどうすればいいのかって、いつも考えてえいるんです。
先日、ヨルダンのザータリ難民キャンプで暮らすシリア難民の子どもたちの取材に行った成果を個展にしました。そこで僕が考えたアプローチは、ただひたすらに子どもたちの笑顔や、支援を受けての言葉などをメインにしつつ、間に支援を行う日本のNGO「国境なき子どもたち
」の職員たちの苦労、そして"平均難民年数は26年"など、難民問題のファクトを入れるというものでした。よく見かける、"建物が破壊され尽くして、血塗れの子どもたちが…"というような要素は一切入れませんでした。
見に来た方々の感想はといえば、「子どもたちがあまりにもいい笑顔をしているから、いろいろ考えました」というものでした。「笑顔じゃないといけない理由があるんじゃないか」、あるいは「写っていない大人たちの表情はどうなのかが気になった」とか。あるいは「国境なき子どもたち」の松永晴子さんに付けてもらった日本語訳を見ると、子どもたちのメッセージの9割くらいは「祖国に帰りたい」というものでした。来場者の方々はこれについても、「ほとんどの子どもが同じことを書いているということは、そう言わせている空気があるんじゃないか」「故郷を思うことはすばらしい、でも、それ以外の選択肢が想像できないからじゃないか」など、様々なことを感じて下さったようです。
ジャーナリストの綿井健陽さんも「優しい展示ですね、でも、伝わりますね」と言ってくださいました。悲しい話を悲しく、怒りを怒りで伝えるのではなく、現場でしか得られないファクトを淡々と並べながら、様々なアプローチで伝えていけば、届く人には届くんだな、やってよかったなと思いました。
■被災地で言われた「被災者らしい格好をしてないから映像で使えないよね、ごめんなさい」
それは何も海外のケースだけではありません。被災地取材に行くと、「被災者らしい格好をしてないから映像で使えないよね、ごめんなさい」と言われることがあります。被災者だって笑うし、美味しいものを食べたいと思うのは当たり前のことなのに、それを許さず不謹慎だと言う大衆がいて、被災者にそんなことを言わせてしまうメディアや視聴者がいる。自粛した花火大会を再開したという話を感動的に伝え、消費しても、そもそも自粛する必要があったかどうかは問わない。だから僕の取材映像には笑顔で冗談を言い合うシーンも、ご飯を食べるシーンも入れるようにしています。その方が、現地に行ってみよう、応援してみようという気持ちになるのではないでしょうか。
本当に伝えるべきものを伝えず、知るべきことを知らせず、センセーショナルなネタに安易に乗っかり、過剰にデコレートして何度も流す。そして人々が関心を持たないと嘆く。それこそメディア人たちの手抜きであって、多彩なアプローチを見せればいいというだけ。明るいニュースを増やせばいいという単純な話ではないと思います。
『人に対して「こうするべきだ、あーするべきだ」で溢れるSNSではなくて、自分は「こうしたい、あーしたい」で満ちたタイムラインにしていきたい。』という僕のポリシーにもつながります。(12日、談)
■プロフィール
1977年生まれ。ジャーナリスト・キャスター。NPO法人「8bitNews」代表。早稲田大学グローバル科学知融合研究所招聘研究員。立教大学卒業後の2001年、アナウンサーとしてNHK入局。岡山放送局、東京アナウンス室を経て2013 年4月、フリーに。現在、AbemaTV『AbemaPrime』(水曜レギュラー)などに出演中。
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