田植えの体験学習にやってきた小学生たち。“先生役”として泥にはしゃぐ子どもたちに声を掛け、「これが一番楽しいんだわ」と笑顔を見せるのは、北海道厚真町に暮らす農家の佐藤泰夫さん(64)だ。
代々所有してきた自宅の裏山は楢の木が生い茂り、「楢山」と呼ばれてきた。しかし去年9月、この町を北海道胆振東部地震の震度7の揺れが襲い、楢山でも地すべりが発生した。楢の木は半分以上が流され、大量の土砂が流れ込んだ。自宅は半壊、苗やホウレンソウを作っていたビニールハウスは埋まってしまった。
災害関連死を含む犠牲者37人のうち、土砂に巻き込まれて亡くなったのは36人。隣に住んでいた、いとこの正芳さん(当時65)も亡くなった。「相談しあえる仲間だったからね。年もそんなに離れてないし、同じ農業経営者だったしね。自然の力は恐ろしいわ」。裏山に砂ぼこりが舞う中、正芳さんの田んぼでコメを作る。「ちょっとでも作ってやれればなと思って。ほかの人には作ってもらいたくないなという気持ちもあった」。
実は災害で山が崩れた場合、所有者には防災工事(最大2割負担)が法律で義務付けられており、それができなければ手放すことになっている。楢山の場合、工事費用はおよそ14億円と見積もられた。考えてもみなかった巨額の工事費用に、「被災者の身になっていないというか、被災したから土地よこせ、工事してやるからって感じなんだよね。それがちょっと気持ち的に納得いかないっていうか…」と佐藤さん。
話し合いに訪れた道の担当者からは「放送されると問題がある」と撮影の許可が降りなかったが、最終的に佐藤さんの負担分は道が支払うことになった。ただ、それと同時に楢山が道に寄付されることも決まった。「北海道の条例でそう決めておりますので。今まで全道各地、急傾斜の工事はこのようにやっているので、それでもう理解いただく」(道の担当者)。
しかし佐藤さんは「災害に便乗した“乗っ取り”みたいなもんだなって。“法律でこうなってますから”って、こっちはなんも言えないもんね」と納得が行かない様子だった。
台風が北海道に近づいていた今年8月、地震の前にはなかったことが佐藤さんの頭をもたげる。「山が裸になっちゃって水を吸えない。だから降った分どんどん出てくると思う」。翌朝、すぐに楢山に向かうと、水が流れた跡ができていた。「がっぽりえぐられてる。これが一気にずってきたら。またこっちもやられるかな。この程度でおさまってよかった」。
■同様の地層は日本全国に
地震による厚真町での地すべりはおよそ8000カ所に上った。これまで見たこともないほど大規模な斜面の崩壊で、高さ2mもの土の壁が一気に滑り落ちたという場所もある。
こうした地すべりの原因について、道立総合研究機構地質研究所の石丸聡氏は、水を含みやすい火山灰の地層があったこと、その下にある、水を通しにくく固い粘土の層との境目に水が溜まり、火山灰の層を浮かせる状態になったことがあったと分析する。実は地震の前、道内各地で観測史上1位となる大雨が記録され、厚真町でも7・8月に合わせて400ミリの雨が降った。専門家は、この雨が地すべりの規模を拡大したと指摘する。火山の多い日本では、このように火山灰が降り積もって出来た地層が各地で確認されている。
今年8月。研究者たちが熊本県の南阿蘇村にある、熊本地震で起きた地すべりの現場を見て回った。同村の高野台地区では5人が土砂に巻き込まれ亡くなった。17軒あった家は現在5軒しか残っていない。住民の一人は「ここは原生林みたいなところだったんですよ。まさかこんな山が崩れるとはみんな思わなかった」と振り返る。ここも厚真町と同様、水を含みやすい火山灰でできた地層だった。
熊本大学の鳥井真之特任准教授は「多くの人は災害を“他人事”として捉えていた。熊本の人は東日本大震災のとき、“ここに住んでいた人はかわいそうだな、大変でしょうね”と。でも今度は“まさか熊本地震で自分がこうなるとは”と思った。自分の住んでいる地域にどういうリスクがあるか知っていただくことが大切だ」と話す。
同じ月に熊本市で開催された「地すべり学会」では、山裾に何軒もの住宅が建てられ、集落がつくられていた厚真町について「あんなに広い土地に、なんで山側にはりついて家があるんだろう。厚真町だけでなく、同じようなところはいっぱいあるんですよね。これは行政に言わないとダメかなと思うんですが、この災害を契機にして、集落作りに反映させていただきたい」といった意見も出された。
実は厚真町の歴史は、大雨に見舞われた歴史でもあった。「春と秋に特に洪水が多く発生したので、縄文人だけでなく、明治の開拓以降の人たちも川の傍よりもちょっと高い、山裾に住宅を構えることが自然と行われてきた。だから町民にとっては災害といえば地震よりも厚真川が氾濫することだった」(同町教委の乾哲也学芸員)。事実、厚真町では明治から平成にかけて大規模な洪水が20回も記録されていた。
■“盛り土”のリスクも全国に
同じ地震で震度6弱の揺れを観測した札幌の清田区里塚は、液状化などで大きな被害を受けた。緩い地盤が陥没した同地区は、高度経済成長を機に丘を削り、谷を埋めて造られた盛り土でできた住宅地の一つだ。隣の苫小牧市で開発が行われていた東部工業基地のベッドタウンでもある厚真町でも、1970年代以降に建てられた住宅地の一部は盛り土で造成されていたため、強い揺れには耐えられなかった。
京都大学防災研究所の釜井俊孝教授は「我々の目に触れる公害はうまく抑え込むことが出来たが、同じ時期に作られた問題点がいまになって噴出している。それは盛り土のリスクが顕在化するのに時間がかかるものだからだ。いわば“遅れてきた公害”だ」と話す。
阪神淡路大震災などで盛り土の被害を認識した国は2006年に技術基準を改正、マップを公表するよう自治体に呼びかけてきた。しかし10年以上が経過した今年3月の時点でも、公表を実施していない自治体は3割に上る。札幌市では2017年にマップを公表していたものの、里塚地区は抜け落ちていた。「昭和40年頃の古い地形図と撮影当時の地形図を重ね合わせ、等高線の差を読み取って範囲を想定している。結果として、里塚地区の一部はマップに反映されていなかった。古い地図は精度が悪いので、そこから情報を得ると精度が悪いものになってしまう」(札幌市の担当者)。さらに、厚真町では分布図の公表がなされていなかった。
そんな中、日本にはどれだけ盛り土の住宅地があるのか、各自治体の数値をまとめたのが毎日新聞だ。それによると、盛り土は全国で3万カ所を超えており、神奈川県では5500カ所以上と突出していることがわかる。「知らないという人もいっぱいいると思うので、まずはそういう造成地があるんだということ自体を伝えていかなければいけない」(畠山哲郎記者)。
3459件。これが去年、全国で起きた土砂災害の件数。過去最多だ。釜井教授は「自分が家を買うときのことを考えてほしいが、そのときに土地がどうなっているか調べなかったんですか、と。一生に一度の買い物をするときに、土地の来歴、地質・地形がどういうものか調べずに買うというのは私には信じられない」と現状に苦言を呈した。
仮設住宅の期限は2年。厚真町の災害公営住宅には家が全壊した町民しか入れない。「慌ただしい1年だったわな。やっぱ住むところだよね。資金でもあればいいんだけど」。そう話す佐藤さんに、「いろいろあったけど、これからも何とかなるんじゃないかな。お父さん、頑張ってるから」と、妻の美奈子さん(60)が声をかける。
地震があった日から1年。父の敏男さん(89)は、変わり果てた楢山の姿に「やっぱり哀れな姿だ。こんなことになると思わんもん。こうなったら、どうもならんもん。情けないけどしょうがない」と涙を拭った。
地震の後、初めて楢山に登った佐藤さん。かつて作った登山道は雑草で覆われていた。「無残な姿になっちまったと思うよね」。いつも暮らしの中にあった楢山は、まもなくコンクリートで固められていく。工事は今年度中に終わる予定だ。