宮城県が日本一の生産量を誇る特産品で、その形から“海のパイナップル”とも呼ばれるホヤ。ビタミンやミネラルが豊富で、生はもちろん、焼いたり唐揚げにしたりと、地元で親しまれている食材だ。旬を迎えるのは初夏で、イベント「ほやフェス」には大勢の人が詰め掛ける。
東日本大震災による被害から立ち直ったホヤ漁だったが、福島第一原発事故による放射能汚染への懸念から、最大の出荷先だった韓国が輸入禁止を継続、窮地に立たされている。そんな中にあって、「宮城の特産を絶やすわけにはいかない」と奮闘する関係者を追った。
■「日本は安全だと言っているが、信じられない」
原発事故後、世界54の国と地域が放射能による汚染への懸念から日本の食品の輸入を規制。徐々に規制の解除や緩和が進んでいるが、今も22の国と地域が継続中だ。中でも震災前には宮城のホヤの7割を輸入していた一大消費地が韓国だった。その韓国が宮城や福島など東日本の8県から全水産物の輸入を禁止したのは2013年。震災後、初めて種を付けたホヤが出荷間近となった頃だった。徐々に復興し、水揚げが増えている中、行き場が無く、半分以上のホヤが廃棄されるしかなかった。
日本側は2015年、韓国の規制は「科学的根拠がなく差別的だ」として禁輸の解除を目指し、WTO(世界貿易機関)に提訴する。実際、宮城県漁協では毎月、放射性物質の検査を行っており、震災後、一度も放射性セシウムは検出されていない。第一審では、こうした科学的根拠に基づき安全性を訴えた日本側の主張が認められた。しかし今年4月の最終審では、安全性は認めたものの、流通する食品の放射線量をできる限り低く抑えたいという韓国の主張を酌み、議論が十分でなかったとして第一審の判断を取り消した。
この結果に、輸出再開を信じていた生産者たちの期待は打ち砕かれた。「困るわなあ。絶対安全なものしかないのに」(地元の漁師)「来年からホヤの輸出も可能なのかと思った矢先にこれ。この状態では、明日からまんまも食っていけない。生活が全然成り立ちません」(水産加工業者)。
韓国の禁輸の背景には、何があるのか。およそ1000万人が暮らす首都ソウルにある、韓国最大の水産市場・ノリャンジン水産市場を訪ねてみると、国の内外から新鮮な水産物が集まっていた。中でもホヤは年間を通じて出回っている食材で、ビビンバの具や塩漬けのおつまみとして、日常的に食べられているという。この市場でも、ほとんどの店が取り扱っており、震災前には宮城県産のものが韓国産と一緒に並んでいた。
しかし、「日本産は汚染されていると言われているので、消費者は食べようとしない。日本は安全だと言っているが、それは形式上のことで、信じられない」(鮮魚店店主)、「日本産だと知っては食べません。簡単には食べることはないと思う」「被ばくすると、すぐに血が出たりするわけではなく、潜伏期間があり、5年後、10年後に奇形やがんとして現れる(と聞いている)。安心して食べられない」(消費者)と、根強い放射能への不安を口にした。
ソウルから南におよそ300キロのところにあるトンヨン市は、韓国国内に出回るホヤのうち6割を生産する。漁村のキム・ソクジン係長は「トンヨンは数多くの島があり、水が奇麗なので、ミネラルやプランクトンがとても豊富。こうした良い自然環境が整っているので、我がトンヨンのホヤはおいしいのだと思う」と話す。
生産のカギを握る種は、人工培養を行う専用の施設で育てている。日本で主流の、カキの殻に種付けをする自然培養とは異なり、種がうまく育たないリスクを軽減し、安定した生産につなげているのだ。「我が国の場合、政府が漁業者に対してたくさん支援をしてくれる。補助事業もある。培養施設も政府が支援してくれるので、たくさん造っている」(キム係長)。
震災前は韓国で出回るホヤのうち半分ほどが日本産だった。しかし震災後、韓国は国内生産量を大幅に増やし、2017年には3倍以上に増加。需要をまかなうには十分な量となり、現在では流通しているもののほとんどが国内産となっているのだ。
そして、日本側の苦しい状況に追い打ちをかけているのが、日韓関係の悪化だ。半導体材料の輸出規制の強化をめぐり、日本製品の不買運動が起こるなど、対立が深刻化。宮城のホヤが再び海を渡るまでの道のりは険しくなるばかりだ。
■「国内でもやれることがあるんじゃないのか」
宮城県の牡鹿半島東部にある鮫浦湾は、海岸線が複雑に入り組むリアス式海岸だ。ホヤのもととなる種が豊富で、養殖が盛んな地域の一つ。石巻市のホヤ漁師・渥美貴幸さんは、WTOの逆転敗訴が大きな影を落とす中にあっても、前を向いていた。輸出に頼らず国内の消費を増やすことで、ホヤ漁を成り立たせる方法を模索している。「そうしたら、じゃあ次どうしよう、っていうふうに考えた方が良いかなって思う」。
宮城のホヤはほとんどが韓国と地元に出荷されていたため、県外にはあまり出回っていなかった。そこで今年6月。埼玉県大宮市でPRイベントが開かれた。こうしたイベントの開催は関東では初めて。渥美さんも参加し、訪れた人たちにホヤの捌き方や食べ方を紹介した。「おいしさが皆さんに伝われば良いなと思います。牛タン、ずんだに並んで、宮城と言ったらホヤみたいな、そういうところまで持っていきたいなと」。
そんな思いが通じたのか、試食した人たちからは「外側がグロテスクなので食べず嫌いだったんですけど、新鮮なものを頂いたらおいしかったです」「関東の人ってホヤになじみのない人がたくさんいるので、売っているお店が増えたらうれしいなと思いますね」と、評判は上々のようだった。
さらに渥美さんは、自らホヤを売り込み、出荷先を見つける努力も続けている。今では東京都内の5店に発送しているが、こだわるのは鮮度だ。一度水揚げしたホヤを出荷直前まで海水に漬け、臭みのもととなるふんを抜いている。「関東の方に送ろうとすると1日以上かかってしまうので、やっぱりいくら冷やしてもふんの臭いが中に移ったり、身に色が移ってしまったりするので、極力取ってから発送しています」。なじみの薄い地域においしさを知ってもらうため、手間を惜しまない。
渥美さんのホヤを受け取った練馬区の飲食店店主は「この角が透明なやつ、これが新鮮度を表していると思います。このくらい透明であればばっちりですね」と太鼓判を押す。「昨日の夜に石巻を出発したホヤが、今日の昼ごろに届く。本当に鮮度がすごく良い状態で届けてもらっているんですよね」。そう説明する店員に、客からは「ちょっとクセがあると聞いていたし、ちょっとえぐ味もあるというイメージもあったんですけど、初めて頂いて、こんなにおいしんだって思いました」と笑顔が。
ただ、1店舗あたりの取引量が少ない上、梱包費用や送料がかかるため、渥美さんには利益がほとんど出ない状態だ。「(出荷全体の量が)10あるとしたら、1にも満たないくらい。まだまだやっぱり数量は多くない。それでも今まで販路だった韓国だけに頼らず、国内でも何かやれることがあるんじゃないのかなって思っていたので」。
こうした熱意に、宮城県も支援に乗り出した。まずは全国区の知名度に押し上げようと、全国各地で販売イベントを開始した。この日は鹿児島のスーパーで、県水産業振興課の杉田大輔さんが懸命に魅力をアピールする。「今、お刺し身を食べてもらったんですけど、火を通してもおいしくて、蒸して見たり、あと私が大好きなんですが、天ぷらにしたりですね」。試食した来店者からは「初めて食べた味で。ちょっと苦さとプチプチ感があって、すごくおいしかったです」。
お客さんの反応に、確かな手ごたえを感じた杉田さん。「国内が一番確固たる販路になると思うので、全国の方たちにもホヤを知っていただくことで必ず広められるというか、消費はもっともっと増えると思っているので、取り組んでいきたいと思っています」。こうした地道な活動の成果が徐々に現れているようで、国内のホヤの消費量は、震災前と比べると3倍以上に伸びている。
■「おいしいものをちゃんと届けたい」
漁師仲間を誘って飲みに行った渥美さん。より多くの人においしさを知ってもらえるよう、漁師同士で協力しようと語りかけた。「ちゃんとPRしたいのさ。それを独占はしたくないから、一緒にやれる仲間を探している段階で、もし良かったら一緒にやれないかなと思って」「文句言うのは簡単なんだけど、これからの時代は、一番おいしいものを知っているうちらがブームを作っていこうという動きに変えていかなきゃいけないんじゃないかなと思う」。
渥美さんの熱い呼びかけに、宮城の特産を絶やしたくないという思いを持つ仲間たちからも「俺たち自分で言うのもなんですけど、まじめだし(笑)。おいしいものをちゃんと届けたいっていうのは共感できるところはある。うまいし、やっぱりおいしいって言ってもらえるのが一番うれしいから」といった嬉しい言葉が。
今年9月。浜では来シーズンの準備が始まった。水揚げが終わったロープの汚れを一本ずつ落としていく。ここに成長したホヤが取り付けられ、次の出荷を待つことになる。
渥美さんの取り組みは着実に実を結んではいるが、全国にホヤが浸透するまでにはもうしばらく時間がかかりそうだ。それでも宮城の漁師は前を向く。「やっぱり不安もいっぱいある。だからこそもっと頑張らなきゃいけないなと。おいしいとか、これなら食べられるとか、伸びしろがいっぱいあると思うんですよね、まだまだ」
原発事故で最大の出荷先を奪われたホヤ。8年半が経ってもなお、その風評被害は消えてはいない。それでも簡単には諦めない。ホヤが全国で食べられている将来を目指して。