この世に灯った小さな命は、時にお母さんのお腹の中で、あるいは生まれて間もなく亡くなってしまうことがある。医療機関で確認された妊娠のおよそ15%が流産になるとされていて、妊娠6カ月半ばの22週未満で亡くなると「流産」、22週以降で亡くなると「死産」と呼ばれる。このうち、妊娠12週以降に亡くなった赤ちゃんは、2017年には2万358人に上る。
並木クリニック(秋田市)の並木龍一医師は「仕事をしていたから、忙しくしていたから、上のお子さんに手が掛かっていたから、そういった理由で自分を責めてしまう方が非常に多い。しかし自然界には“淘汰”という言葉があるように、そういう形で流れてしまうケースがほとんど。だから私としては“医学的に助けようがなかった、不可抗力です”と強調し、“絶対に自分を責めないでください”と伝えている」
■「悪いことしたのかなって、やっぱり自分を責めた」
こうしたケースは「誕生死」とも呼ばれている。女性や家族を支援する秋田市のNPO法人「ここはぐ」が6年前から開いている、月に一度の「天使パパ・ママのお話し会」は、その経験をした人たちが心の内を話せる大切な場となっている。
「妊娠9カ月入ってたんですけど、心臓が止まってますよと言われて、そのまま次の日に入院して(陣痛)促進剤で死産という形で出産しました。なんでなんでっていうのがずっとありましたね」。
「私の誕生日に生まれて来てくれた子で。会いたいなって、今でも会いたいなって思うことはあります」。
「初めての出産が、息子の命日になりました。お腹の中で亡くなっているので戸籍にも何も…。朝から涙が止まらなくて、ずっとこの会に来たくて、みんなとお話ししたくて」。
代表の小田嶋麻貴子さん自身も2度の流産を経験している。妊娠7週と9週だった。「周りのみんなは当たり前に産まれているように見えたし、なんで私だけ、たまたまが2回も続くんだろう、なんか悪いことしたのかなって、やっぱり自分を責めた」。
「ちょっともごもごしましたね。元気な証拠ですね」。エコーに写るお腹の中の赤ちゃんを見つめるのは、妊娠9カ月(34週)を迎えた工藤奈月さん。
「前の赤ちゃんの母子手帳。お守り代わりに。旅行行くときとかも持って歩いてるんです」。実は最初の妊娠は流産だった。腎臓の難病「ネフローゼ症候群」を抱えていたため、妊娠・出産は諦めていた。新薬を使って治療しながら妊娠できることがわかり、2年かけて体調を整えた。しかし妊娠3カ月(9週)でのお別れとなった。「“赤ちゃんの心臓が止まってます”と言われて、“嘘でしょ”と。治療も頑張ってきたし、結婚してからも何回も再発して夫も大変だったし、これ以上、大変なこと、辛いことって起きないだろうと勝手に思っちゃってたので」。夫の直史さんは「悲しいんですけど、俺が“悲しい”って言っちゃうと、妻が本当に悲しめないのかなとか…。難しいですね。あの時の感情は」と振り返る。
「誰にどう話していいか分からなかったときに小田嶋さんに会って。天使パパママの会に行って話して、少し落ち着いたというか、楽になって」。今回の妊娠でも、「もしかしたらまた」と感じたこともあったが、「今は楽しみの方が大きい」と話す奈月さんに、直史さんも「胎動を感じるようになってから2人して安心し始めてはいます。毎日生きてるのを確認できるから」。2週間後、夫妻に女の子が産まれた。「翼」ちゃんと名付けた。「流産した赤ちゃんに付けたかった名前で。賛否両論あると思うんですけど、翼の羽のどこか一部に、前の赤ちゃんの思いも入ってるんだよ、忘れないでねっていうのを伝えたくて。こんな日がくるとは思わなかったな、ほんと」(奈月さん)
■「ひとつひとつの命に服を着せてあげたい」
産まれてくるのは奇跡の重なり。それでも亡くなってしまう小さな命のために、ここはぐでは「天使ちゃんの服」を製作している。
きっかけは「お話し会」だった。「亡くなってしまったことも悲しいけれど、更に大きい産着を着て対面した時に、またそこでこんなに小さく産んでしまったことへの悲しみが襲ってきて何重もの苦しみになってしまうのがお話し会を通してすごく共通してたんですね。ああ、じゃあなんか出来ないかなって」(小田嶋さん)。
妊娠12週以降に赤ちゃんが亡くなった場合、「死産届」を出して火葬することになる。その際、新生児の大きさの服はあっても、小さな赤ちゃんのための服はなく、ガーゼやハンカチに包んで送り出す家族もいるのだ。ここはぐスタッフの斉藤貴子さんも、そのことがずっと気になっていたのだという。「ガーゼでくるまなきゃいけないくらい小さかったという話を聞くと、やっぱりひとつひとつの命に服を着せてあげたいと思った」。斉藤さんも8年前、生まれて間もない長女・ちとせちゃんを亡くし、送り出した。その経験があるからこそ、どの赤ちゃんもかわいい服で送り出してあげたいと願っている。
4年前に始まった、服を製作する「天使ちゃんのちくちく会」は、ここはぐのスタッフに加えて、ボランティアの力で活動が続いている。思いを寄せる時間も大切に考えて、すべて手縫いだ。これまで秋田県内を中心に、東北地方の医療機関に180着を寄付してきた。「火葬した時に化繊だと骨にくっついて残るという話を聞いたので、まず綿100%か絹だけ、化繊を一切使わないのが大きいこだわり」(小田嶋さん)。
天使ちゃんの服を作り始めた頃から受け入れている、秋田市の並木クリニックでは、誕生死の赤ちゃんを迎えることになった家族には、他の赤ちゃんの声が聞こえない部屋も用意している。「赤ちゃんの状態にもよるんですけど、沐浴をしたり足形を取ったり手形を取ったりしています」(佐藤秋子師長)。家族を見守りながら、赤ちゃんのために出来ることとして天使ちゃんの服を提案するという。「小さな赤ちゃんが産まれた場合、なかなか合うものがないので。“ちゃんと着せるものがあるんだ、こちらを使わせてほしい”とおっしゃるお母さん方もたくさんいらっしゃいますね」(同)。
秋田市の佐藤理江さんは昨年2月、お腹の痛みと出血があり、赤ちゃんが亡くなっていることがわかった。妊娠5カ月に入る直前の15週。その夜、陣痛が起こった。「もう亡くなっているけど出てこようとしてくれてたっていうのを知ってびっくりしたんです。すごく親孝行な子だなと思って」。理江さんが産後の処置を受けている時、夫の雄人さんに助産師が見せてくれたのが、天使ちゃんの服だった。性別はわからなかったが、雄人さんは綺麗な青い服を選んだ。
「裸のままはかわいそうだからねって。ちゃんと人の子どもとして見てくれたっていうのがすごく嬉しかった」と雄人さん。理恵さんも、「最後に洋服を着せられたのはすごく嬉しかったし、有難かったなって思います」。二人は天使ちゃんの服を着た赤ちゃんと、笑顔で写真撮影をした。「よく見ると二人ともやつれてるんですけど、残すのであれば笑顔で一緒に撮りたいなと」(雄人さん)。
■天使ちゃんのための棺、「おくりばこ」
一昨年の冬、ここはぐは新たな取り組みを始めた。天使ちゃんのための棺、「おくりばこ」を作り、販売することにしたのだ。
お話し会で、「包装紙を貼った点滴の空き箱に赤ちゃんを入れて渡された」「葬儀業者の子ども用の棺が大きすぎて悲しみが増した」という声があったのがきっかけだ。
助産師でもあるスタッフの武石万里子さんは誕生死の場に立ち会うこともあり、医療者の目線で活動に参加してきた。「業務のスイッチを切り替えて、次のこと次のことってやらないといけない中で、自分に何が出来たかなって。一つでもお母さんに寄り添えるようなものが提供出来たらなって」。
試作品を誕生死の経験者や県内の医療機関に見てもらう。「夏のドライアイスを考慮して深めにしたんですけど、あんまり今使わなくなってきてるって…もうちょっと浅く近いほうがいいのかなって」と尋ねる武石さんに、助産師からは、「そうなるとぬいぐるみ入れても出ることはないのかなって感じしますね」とアドバイスが。ここはぐらしい「おくりばこ」を作るため、たくさんの思いを集めた。
この日、ここはぐのスタッフが天使ちゃんの服とおくりばこを必要としている人に確実に届けたいと相談したのは、あきた企業活性化センターだ。
企業の紹介や商標登録などのアドバイスをした武藤貴臣さんは「やっぱり“ください、お願いします”って言われて、ないっていうのはあってはいけないサービスなので、無理のない範囲でちょっと多めに持つということはした方がいいかもしれないですね」と声をかける。「これはほんとに成功してもらいたい、伝わって欲しい事業だと考えていますから」。
おくりばこの在庫を持つために、資金はクラウドファンディングで募ることにした。そして製作は、秋田県湯沢市の今林業が引き受けてくれることになった。「お母さんの気持ちが和らぐんであれば、そのお手伝いが出来たら」と話す今正樹さんと、予算内に収まる限り、こだわりを取り入れていく。
そして今林業が製作したおくりばこが届いた。杉の板を丁寧に磨き、角にも丸みがある柔らかい手触りだ。天使ちゃんの服を着せて布団を掛けると、まるでベビーベッドで眠るよう。丸い小窓を開けると、送り出す最後の最後まで、赤ちゃんの顔を見ることができる。“心おだやかに赤ちゃんを送り出せるように”。
ここはぐのスタッフからは「いいにおい」「いいにおいだね」「木のいいにおい」「あらーかわいいこと」と歓声が上がる。お骨入れも、おくりばこを包む布も、県内の企業に作ってもらったオリジナルだ。「よかった、よかった。みんなの意見を形に出来たかな」。小田嶋さんも涙ぐむ。
そして全国から医師や助産師、保健師が集まる日本母性衛生学会(千葉県浦安市で開催)にブースを出展、小田嶋さんや武石さんが、取り組みや品々について説明する。来場者からも共感の声が寄せられていた。
■「今日も頑張るよ」
「癒されたり頑張ろうって思えたり時々話しかけたり、行ってきますとか、今日も頑張るよとか言ってみたり」小田嶋さんが流産で亡くした赤ちゃんの写真はなく、母子手帳もないが、お話し会で作ったペーパークラフトにその姿を残している。本当は、会いたい。できることなら会って抱きしめたい。かなわないとわかっていても、どこかに面影を探してしまう。あなたの命は確かにここにあった。小さなその命を、忘れない。
こころを、個々をハグしあい育む、「ここはぐ」。それぞれが心にとどめていた思いを語り合い、「天使パパ・ママのお話し会」、「ちくちく会」を始めた。今、その思いを、多くの人に伝えようとしている。