幕尻の德勝龍があれよあれよという間に白星を積み重ね、千秋楽で大関貴景勝に勝利、14勝1敗で記録ずくめの初優勝を成し遂げた。そんな中、珍しいことが起きていたのは、「これより三役」だ。
平幕力士が千秋楽の「これより三役」の土俵に上がるのは昭和2年(1927年)春(1月)場所の若常陸(七枚目)、昭和47年(1972年)初場所の栃東(五枚目)に次いで昭和以降、3例目で48年ぶり。幕尻力士が千秋楽結びで取るのは史上初だった。
通常は横綱同士、大関同士、あるいは横綱対大関など、番付最上位から順に対戦が組まれるのが慣例だが、過去には昭和48年(1973年)秋場所の大錦、平成18年(2006年)夏場所の把瑠都が新入幕ながら名を連ねるというレアケースも。さらに今場所は最後の3番全ての取組に平幕力士が登場するという史上初の「これより三役」となった。
千秋楽最後の3番の取組を「これより三役」と言い、東西それぞれの3力士が最後から3番目の取組前に三役揃い踏みを行う。江戸時代後期にはすでに行われた記録があり、正式名称は「役相撲」。明治42年(1909年)、横綱が地位として明文化される以前の大関が最高位だった時代、大関、関脇、小結の三役に相当する取組をもともとは指し、それぞれ「大関相撲」「関脇相撲」「小結相撲」といった意味合いだった。
最後の3番に勝利した力士は「役相撲に叶う」と口上を述べる行司から、それぞれ順に矢、弦、結びの勝ち力士には弓が与えられる。ちなみに、もともと千秋楽のみに行われていた弓取式(毎日行われるようになったのは昭和27年初場所からでファンサービスの一環)は、千秋楽結びの勝者に与えられた弓を受け、勝ち力士に代わって弓取を行っていた。
▶映像:珍しいケースとなった「これより三役」
▶映像:AbemaTV大相撲ダイジェスト千秋楽
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