親に特定の信仰があった場合、その子に「信教の自由」はどこまであるのだろうか。
「“神を信じなさい。神の言われていることをきちんと守りなさい”と言われ、1日は神に祈るところから始まり、そして神に祈って終わる。それが当たり前で、周りが間違っていると思っていた」。
母親がある宗教に入っていたため、疑いを持つことなく2世信者の道を歩んできた黒川渉さん(仮名・31)は、物心がついた4歳の頃から集会に参加。規律で競争などが禁じられているため、小学校の運動会では応援合戦などを座って見学。6年生の時には自らの意志で団体の一員になり、卒業式では校歌を歌わなかった。
「母親が布教活動に行く時は必ず行かなくてはならなかった。学区内を回るので、友達の家もある。恥ずかしくて何も言えなくなったりとか、母親の陰に隠れたりとか、そういうことはすごくあった。それでも母親の言うことを守っていない同級生たちはこのまま滅びるんだろうと思っていたし、母親が大好きだったので喜ぶ顔が見たかった。先に入っていた姉、妹も喜んでくれた。ありがたいことに、周りにはいい人たちが多く、“黒川はしょうがないからいいよ”とサポートしてくれた。中学校の時には、同じ宗教を信じている同級生もいた」。
しかし中学入学後、厳しい規律に対して次第に違和感を覚えるようになる。「性的なものは見てはいけないというルールがあったが、成長するにつれて興味は出てくる。自慰行為を続けてしまえば滅びてしまうんだ、楽園には行けないんだという強迫観念から、夢でうなされて飛び起きたこともあった」。また、「仲良くしたいならその子にも宗教を教えなさい」と言われ、友人と遊ぶことができなかったことも、宗教への疑問に拍車をかけた。
性的な関心への罪悪感と葛藤、そして“罪滅ぼし”としての布教活動は高校に入ってからも続いた。イジメを経験して登校するのが辛くなった時にはには宗教に救われたこともあった。しかし、「宣教活動は面倒くさく、遊びたいし、部活にも入って青春を謳歌したかった。宗教の教えは嫌だけど、母親が悲しむ顔は見たくない、という葛藤の中で10代を過ごした」。
大学生になった黒川さんは、親に内緒で女性との交際を始める。「思春期真っ只中なので、性に対する暴走とか色んな思いがあって。大学生の当時は、彼女が欲しいと思っていた。彼女ができた瞬間にそういう行為には及んでいた。当時はもう辞めたい願望の方が大きかったので、罪悪感はなかった」
ほどなくして、宗教では禁止されていた婚前交渉により、相手の妊娠が発覚する。その事実を知った母親は、黒川さんを自ら“裁きの場”に差し出した。「“罪を犯したので審理委員会にかけられる”と母親に言われ、集会内の上の立場の人たちが集まってきて、“あなたがやったことは罪だ。それを受け入れるか?”と質された。僕は“好きな人を好きになって、その人との子どもができただけ。罪だと思わない”とはっきり応えた。すると、“罪と認めないのであれば排斥する”と言われた」。
その時、“子どもを巻き込まなくて済む”と感じたという。「やりたいことも出てきたが、そのためには宗教を辞めなければならず、集まりに言っても頭の中に教えが入ってこないような時期だった。だから、“やっと辞められる”という考えしかなかった。特に母親に対しては申し訳ない、どんな言葉をかけたらいいんだろうという思いもあったが、辞められて良かった、この宗教と関わらなくて良いんだという思いの方が上回った。辞めさせられてからしばらくは“滅びるかもしれない”という悪夢もあったが、1年くらいで忘れた」。
しかし、排斥者と親しくしてはならないという規律があることから、親は黒川さんの携帯番号の登録を消去、「もう2度と電話をかけてくるな」と言い放った。結婚式への出席もなく、約10年間にわたり、親だけでなく、姉や妹にも会えない日々が続いている。「初孫なので見せに行こうとしたが、家には入れてもらえず“出て行け。帰りなさい”と言われた」。
今は自由な生活を謳歌している黒川さん。しかし寂しさも感じている。「かろうじてつながりのある祖母とおばから少し情報をもらうことはあるが、基本的には全く連絡はない。もう10年会っていないが、大好きな家族だ。今の自分の考え方や仕事を考えると、やはり母親の影響を受けていると思うし、本当はすごく会いたい、今だからこそ喋りたいと思う」と語った。
一方、団体から離れてもなお、かつての教えに縛られ続ける人もいる。黒川さんと同じく、婚前交渉が理由で宗教団体を排斥された元2世信者のコータローさん(35)は「クリスマスや誕生日、お正月を祝うという感覚がなかったので、今でも“自分は破滅の道に進んでいるんじゃないか”という思いがある」と話す。新しい家族と過ごす何気ない日常の中で、今もギャップに苦しんでいるのだ。
こうした問題について街で聞いてみると、「決定権は子ども自身にあるかなと思う」(学生・19)、「宗教に入るのは個人の自由だと思うので無理やりっていうのは良くない」(学生・19)と皆が口を揃える。
黒川さんの話を聞いたタレントの池澤あやかは「生きていく上では思想に助けられることもあるし、“無縁社会”だと言われる時代、ある意味で宗教は“自助コミュニティ”にもなりうると思う。ただ、子どもたちに影響してしまう側面、何をしてあげればいいのだろうか」と感想を述べた。
作家で宗教学者の島田裕巳氏は「例えば子どもを連れて神社に初詣に行ったり、葬式に行ったりする。あるいはキリスト教の幼児洗礼、イスラム教もそうだが、意思決定能力のない子どもにそういうことを共有していくのは当たり前に行われている。そして年を取って苦難に直面した時、救いを求めるのは自分がよく知っている宗教だったりもする。また、宗教とカルトの違いはなかなか線引きができない。なぜなら悪いところを探していけばいくらでもあるし、教えを伝えることは洗脳に見える。だから辞めた人は元いた宗教団体を“カルト”だとして糾弾することができる。オウム真理教に関しても、犯罪に関わらなかった信者の中には“居心地が良かった”と言っていた人もいた」と指摘する。
その上で「黒川さんの入っていた宗教は親も子どもも区別がなく、最終的には同じ教団の中で好きな女性ができ、その人と結婚するほかなかったと思う。つまり、子どもをどうしつけるかで親の信仰が試される構造が作られているし、ある意味で子どもを“人質”にしているようなところがあったと思う。また、信仰はコミュニティという側面もあるので、抜ける時には別なコミュニティがないと抜けにくいし、1人で抜けるとまた戻ってしまうケースがある。しっかり教育をされてしまっていると、まず辞めるということも選択肢として浮かばないだろうし、教団を離れることは家族と離れるということと一緒になるので、その選択はなかなかできない」と話していた。
カトリック系の幼稚園に通い、「シスターに育てられた」と話すカンニング竹山は「人間って、生を受けた瞬間から死に向かって生きるんだけど、その死が一番怖い。何千年前からそう。その時の一つの心の支えとして、先人の教えや死後の世界などを信じるということもあると思う。僕は死後の世界は無いと思っているし、何の宗教も信じてはいないけれど、それは自由だ。ただ、その宗教のことを好きだとは思っていない子どもさんまで同じ人生を歩むのは…と思う」とコメント。
『完全教祖マニュアル』という本を読み、「組織論としては本質を突いていると思う」と話す幻冬舎の箕輪厚介氏は「宗教って、“今の普通の生き方や考え方”と言った時の、その“普通”について、変ですよね、おかしいですよね、と思った人によって立ち上げられ、そこに人が集まったもの。だから変で当たり前。そして宗教には、途絶えないための仕組みが入っている。だから企業やオンラインサロンは参考にすると強くなる。ただ、今回のような問題がもし虐待のように法に引っかかるものであれば外からどうにかしようがあらうが、とても難しい」と話していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
▶映像:宗教に熱心な親を持つ子ども”元2世信者が出演”「辞めたいが母の悲しむ顔を見たくない」
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