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 若松節朗監督作の映画『Fukushima 50』(フクシマ フィフティ)が、3月6日より全国公開される。

 門田隆将によるノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」をもとにする本作では、高い放射線量のもと収束作業にあたり、世界中のメディアから“Fukushima 50”とたたえられた作業員たちの姿が描かれる。主演の佐藤浩市は1・2号機の当直長を担当した伊崎利夫役を、共演の渡辺謙は所長の吉田昌郎役を熱演。吉岡里帆は、連絡が途絶えた父の身を案ずる伊崎の一人娘・遥香役を演じている。

 私たちは、決して風化させないーー。福島第一原子力発電所の廃炉作業は現在も続いており、いまだ故郷に戻ることができない人が多数いる。だからこそ次世代に語り継ぐことが必要だという製作の言葉が重く響く作品だ。公開を前に、吉岡に作品に対する思いを聞いた。

この現場に嘘があってはいけないという緊迫感

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ーー原作は重いノンフィクション作品で非常に難しいテーマだと思います。ある種の覚悟を持って臨まなくてはならないような映画だと感じましたが、出演することに戸惑いはありませんでしたか?

吉岡:オファーをいただいた段階で、ものすごく緊張感があったことを覚えています。けれど、私に対して役を求めてくれたーー。その期待に応えたいと、どこか身が引き締まる思いでした。映画撮影に入る前に、別のお仕事で福島の富岡町に住んでいる方の短歌を紹介する取材があったのですが、そこで携わった方のことをよく思い出していました。その方に聞かせてもらった震災当時のお話がとても生々しくて真実味に溢れていて…もしかしたら思い出すのも辛いんじゃないかと頭をよぎりましたけど、真摯に丁寧に長い時間をかけて、当時の事をお話ししてくださいました。そのことに、なんとなく縁を感じていたんです。そういった思いみたいなものを感じながら役に臨みました。

ーー震災について調べてから撮影に臨みましたか?

吉岡:事前に様々な資料を読み勉強しましたが、“知らないことが本当にたくさんある”と気づかされました。当時、私は関西に住んでいたので、やっぱり被害にあわれた方の気持ちを軽々しく“理解る”とは言えないと思い知らされたというか。複雑な気持ちでした。

ーー撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?

吉岡:リアリティを求められる作品だったので、監督を筆頭に、スタッフさんにもキャストにも“この現場に嘘があってはいけない”という緊張感がありました。例えば、私が登場する避難所のシーンは実際の避難所とほぼ同じ作りのセットが用意されていたんです。避難所にはメッセージボードがあるんですけど、そこに書かれている文字は映像には映らない…けれど、リアルなメッセージがそこには書かれていて。美術スタッフさんのこだわりのお陰で、原発構内の制御室との気迫のシーンとはまた違う、避難所特有の不安な気持ちを撮影現場で感じていました。

苦しい表情に気持ちが呼応するような感覚

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ーー主演・佐藤浩市さんの印象を教えてください。

吉岡:私は浩市さん演じる伊崎利夫の娘役でしたが、たくさんの言葉を交わさずとも、あたかかい方だなぁという印象を受けました。私は後半戦から撮影に参加したんですけど、現場で浩市さんに初めてお会いした日、もしかしたら失礼な言い方なのかもしれませんが「疲れている」と感じました。撮影中の、苦しい表情を見ると私も気持ちが呼応するような感覚がありましたね。

ーー疲労感は目に見えて?

吉岡:一目瞭然でした。別のお仕事で浩市さんとはお会いしたことがあるのですが、その時はいつも若々しくてデニムをカッコよく着こなしちゃう、そんなイメージでした。けど、この現場では“不安”とか“苦しさ”というものと葛藤している姿がありました。思わず第一声で「お体、大丈夫ですか?」と聞いてしまうくらい、役とシンクロしていたと強く感じました。

ーーそんな姿を見て、刺激になったことはありますか?

吉岡:浩市さんから「出演するのに悩まなかった?」と声をかけてくださったことがありました。それに対し「正直すごく恐いと思いましたし、一体どこまで自分が担えるんだろう」と返事をした記憶があります。誤解を恐れずに言うと、もしかしたらこの映画は震災を思い出したくない人にとっては観たくない作品なのかもしれない…そんな気持ちと葛藤したことがありました。けど、浩市さんと言葉を交わす中で、自分自身が覚悟を持ってこの映画と向き合うべきだなと思えたんです。役者をする上でこれからも難しいと感じる場面はたくさん訪れるだろうけど、誰かにとってのプラスになる可能性がある作品ならば、逃げずに挑戦していこうと改めて感じました。

ーー現場の若松監督はいかがでしたか?

吉岡:実際に避難している時の不安感とか、父親や家族が危険な場所にいることへの恐怖とかをキャラクターに乗せて欲しいと現場で仰っていました。自然災害に襲われて、突然生活していた場所を奪われてしまうという経験はないので、自分の中でイメージをしながら丁寧に演じたつもりです。

あの絵文字のアイデアは台本にはなかった

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ーー2011年3月11日、関西でどのような時間を過ごされていましたか?

吉岡:自宅で家族とニュース番組を見ながら「怖いね…」と話しをしていました。そして被災地の方を思って本当に胸が痛くなりました。家族ですぐに義援金を送りに行った記憶があります。

ーー今回の撮影を通じて、実際の家族の事を考えたりしましたか?

吉岡:家族のことは考えましたね。私の地元は大きな被害こそありませんでしたが、テレビではACのCMがずっと流れていて、連日ニュースでは津波の映像が流れていていて…ある種、異様な状態というか、関西にいても漠然とした恐怖感はありました。

もし、「自分の父親が伊崎さんと同じ立場だったら?」とか「同じ状況になっても母親や弟の事を守れるだろうか?」とか色々な事が頭をよぎりました。失う事への恐怖心みたいなものを感じざるを得なかったです。

ーー吉岡さんにとっての印象的なシーンをどこですか?

吉岡:伊崎さんと吉田さんがお手洗いの中で「なんでこんな時にタバコが美味いんだ?」「俺たちなんか間違ったのかなぁ」と会話するシーンがあります。当時、お二人にかかっているものすごい重圧が、よく現れているシーンだと感じました。

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ーー避難所の撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?

吉岡:とにかく寒かったんです。広い体育館の真ん中にストーブがあったのですが、休憩中はそこにいる全員がそのストーブの周りに集合するような状況で。でも、不思議なもので人が集まると、なんでもない話をするようになるんです。そうしていくうちに、寒さもちょっと和らいでいく感覚があって。当時、避難所でどういう会話をされていたのかは私はわからないですけど、きっと同じように“なんでもない会話”をしながら、なんとかこの状況を乗り越えようとするような時間があったんじゃないかなと想像していました。

ーーそんな避難所で受ける父・伊崎からの絵文字付きのメッセージは個人的に印象的なシーンでした。

吉岡:あの絵文字のアイデアは当初、台本にはなかったんです。浩市さんが「普段、絵文字を使わない伊崎がちょっとでも明るくしようとする気持ちをここで現したらどうだろう?」と現場で仰って、それから遥香がその心情を察するセリフも加わりました。喧嘩したまま心の距離が離れてしまった父と娘なんですけど、やっぱり親子だからなんでも手に取るようにわかるというか。2人の絆を感じる事ができる、いいアイデアだなと思いました。

福島の復興の未来への希望が描かれています

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ーー今回の現場で得たことはなんでしょうか?

吉岡:私は出演させていただいたことがきっかけでより“東北について知りたい”という意識が生まれました。シーンを重ねるたびに自然と気持ちが入っていったし、福島に対する復興の意識もより高まりました。

ーー最後にこの映画で感じたこと・伝えたいことを教えてください。

吉岡:作品の中では震災の後、浩市さん演じる伊崎が桜を見に行くというシーンがあるんです。そこには美しい植物があって、生き物もいる…緊迫感に満ちたシーンの連続ではありますが、福島の復興の未来への希望が描かれています。私は、命があるという事は本当にありがたいことなんだっていうのを、この映画を通して一番に思いました。この作品から、福島のこと、そして何かを観た人がそれぞれ感じていただけたらと思います。

テキスト:中山洋平

写真:藤木裕之

■映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)予告編

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