先月、千葉県議会で浮上した、県立高で起きた“黒染め用スプレー”問題。学校再開時の頭髪検査で髪の明るさが目立った女子生徒について、学校側が「脱色・染髪は禁止」とする校則に違反していると判断。改善を始動したものの、再検査でも引っかかったため、スプレーで黒染めするよう求めたという。それでも変化が見られなかったため、教員たちが生徒の髪にスプレーをかけて黒くしたというのだ。
・【映像】"髪は黒色&下着は白色" 校則で指定する意味ある!? 古いままの学校・会社のルールはなぜ消滅しないのか 変える方法は"偉くなる"だけ!?
「茶髪・金髪禁止」「パーマ禁止」「ツーブロック禁止」「ポニーテール禁止」「長い髪はまとめる」「地毛証明書の提出義務(髪色・くせ毛など)」など、頭髪にまつわる校則を定める学校は少なくない。また、「シャーペン禁止」「男女交際禁止」「防寒着は通学時のみ」「外出時は制服着用」「下着の色は白のみ」「タイツはベージュのみ」「日焼け止め・リップクリーム禁止」「置き勉禁止(教科書・辞書は持ち帰る)」など、「意味がわからない」「時代錯誤」など上っている批判を浴びるような校則のある学校もあるようだ。
そこで8日の『ABEMA Prime』では、度々問題視される社会のルールについて考えた。
■校則は変えられることを前提にすべき
文部科学省による“校則の定義”は、「児童生徒が健全な学校生活を営み、より良く成長・発達していくため、各学校の責任と判断の下にそれぞれ定められる一定の決まり」だ。その内容・運用については、児童生徒の実態、保護者の考え方、地域の実情、時代の進展などを踏まえたものとなるよう積極的に見直しを行うことが大切とされている。
この点について、元経産官僚の宇佐美典也氏は「高校時代に髪を染めて怒られたことがあるが、その時に“校則は校長が決めるものだが、生徒会を通じて改正の提案をすることができる。そういうアクションを取らずにルール違反するのは正々堂々と戦っていないということだ”と言われた。そうだなと思って、その場で坊主にした。つまり、ルールは守らないといけないし、それを変える手続きがあるかないかだと思う」とコメント。
これに作家の乙武洋匡氏は「髪の毛を黒くした方が偏差値も高くなるとか、そういうデータがあるのなら議論の余地があるが、合理性がない。ただ、“校則を変えさせるための署名運動に協力してくれ”という依頼に対して、僕は主旨には賛同したものの、署名はしなかった。それは、ルールを作るのが大人で、それを変えさせるのも大人ということになれば、民主主義が育たないと考えたからだ」と応じた。
一方、パックンは「ただ、マイノリティの場合は過半数の票が集まらないという場合もあると思う。これだけ“ダイバーシティ”という言葉を口にする世の中になってきているわけだし、そこは大人が守ってあげる責任があると思う」と指摘、通信制高校「N高」の理事で慶應義塾大学の夏野剛特別招聘教授は「N高にはくだらない校則は一切無いので、みんなおいで」とした上で、「教育界の方々は“皆さんが考えるように自立している生徒ばかりじゃない”“もうちょっときっちりしないと、歯止めが効かなくなる”と言う。つまり、宇佐美さんのように分かってくれる生徒がいない学校の方が多いということだ」と話した。
慶應義塾大学の大屋雄裕教授(法哲学)は「何らかの操作をしたり、手を加えたりする余地を認めることで格差がついてしまうことがある。例えば制服に関しても、経済力の格差が服装に反映されてしまうことを防ぐ、という意味も大きかったのではないか。一方で、生まれつき髪が黒ではない人のことをどう考えるかということだし、黒く染めさせるような校則のある学校には行きたくないという自由は認めた方がいいと思う」とコメント。
「どんなルールに従いたいかにも多様性があると思う。ダイバーシティが大事だと思う人もいれば、受験勉強をするのに邪魔されない場所が欲しいという人もいていい。やはり規則を知って入ったなら従うべきだと思うし、みんなが嫌だと言えばルールを変更できる権利が保障されているかどうかだ。ただ、大抵の学校が校則を外に示してはいない中で、従う義務はあるのかという議論はあると思う」とした。
■企業は車内ルールの“棚卸し”を
また、校則と同様、そこで働く社員たちが困惑するような社内ルールを定める企業もある。たとえば「見栄えが悪い」「華やかではない」などの理由から、女性社員が職場でメガネを着用することを禁止する企業もあるのだという。また、「お茶出しは女性社員で」「スカート着用」「パンプスなどヒールのある靴の着用」といったルールを撤廃しようという動きも近年、盛んだ。
社会保険労務士の望月建吾氏は「そのような企業については、男女雇用機会均等法などの精神にもとる可能性があるので、やるべきではないという提案をする。ただ、例えばメガネ店の場合は商品の見せ方という話にもつながってくるので、そういう場合は会社が費用を出すということを推奨する」とコメント。
4月に入社したばかりのテレビ朝日の佐藤ちひろアナウンサーは「初めて部会に出たが、参加できなかった人のために動画を撮影してアップしているのに、若い人が文字起こしして、議事録を作らないといけないのが…なんで必要なのかなと(笑)」と告白。宇佐美氏は「経産省時代、“どれくらいまで情報発信ができるかな”と思って、ブログに給与明細を載せたところ大炎上して、フライデーに取り上げられてしまった(笑)。そのことで、むしろルールが厳しくなってしまったので、変えるには偉くなるしかないと思った」と振り返った。
ドワンゴの社長でもある夏野氏は「実はコロナを機に、くだらないと思うルール、おかしいと思うルールを申告させてみた。すると、あるわあるわ。要は、見直しのタイミングが用意されないまま、何となく昔からあるからということで守っているということだ。やらなきゃいけないのは、ルールの“棚卸し”をし続けることだ」とした。
■ルールを変えられる社会にするには?
では、こうしたルールを変えていける社会にするためには、どうすれば良いのだろうか。
大屋氏は「人を縛るルールから自由にするルールに」と話す。「これには二つの意味がある。一つはルールとマナーの違いだ。ルールは、それさえ守ればいい。つまり、シャーペン禁止なら、鉛筆や万年筆やボールペンならいいということだ。ルールというのは、常に裏をかくということができるはずだし、そういう“読み替え”をみんながやるべきだ。そして、ルールを作るということだ。例えばタトゥーの施術は医師免許がなければやってはいけない医療行為に当たるんじゃないかという議論があるため、タトゥーイストの人たちはびくびくしながらやっているという現実がある。そこで教育や免許を受ければ施術ができるというシステムを作れば、安全安心に商売ができるようになる。制度を作ることで、自分たちを守ることができるという視点も持つべきだと思う」とした。
一方、望月氏の提案は「偉くなろう」だ。「身も蓋もない話だが、就業規則を作ったり変えたりするのは従業員ではなく会社側だ。声を上げる制度もないし、法律もない。経営者に行動を変えてもらえるよう意見できる立場になるのが最も早いと思う」とした。
2人の意見を受け、乙武氏は「小学校で体育をやめよう」と持論を展開。「そもそも日本の体育はドイツで兵隊の錬成のために編み出されたものがルーツにある。日本人が上から言われたルールを守るのが得意なのもそのせいだ。しかし同時に、ルールを変えるとか、ルールを作るという発想を持ちにくい。部活も同様だ。そこで僕は体育からスポーツに変えるべきだと考えている。スポーツには余暇に楽しむものにルーツがある。もっと楽しむため、もっと仲間を増やすにはどのようなルールがいいのか、という中で発展してきたものだ。本当に教育の一環としてやっているのなら、全て監督が決め、それに従うというのではなく、みんなで練習内容やオーダーを決めるようにすれば、ルール変える、作る、という発想が出てくるようになると思う」と訴えた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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