大相撲史上、過去に例を見ない大復活優勝だ。大関から序二段まで落ち、2018年初場所以来の入幕を果たした照ノ富士(伊勢ヶ濱)にとっては5年2カ月ぶりの栄冠。振り返ってみるとその道のりはあまりにもドラマチックだ。
2017年春場所は横綱稀勢の里との優勝決定戦に敗れたものの13勝。翌場所も12勝をマークして続く名古屋場所は成績次第では綱取りの可能性もあった。しかし、その場所は古傷の左膝の状態が思わしくなく途中休場。横綱を目前にして照ノ富士の相撲人生はここから一気に暗転する。カド番場所でもケガの状態は快方に向かうことなく連続休場で大関からの陥落が決定した。
「休んでいても膝は治らない。付き合ってやるしかない」と照ノ富士は土俵に上がることにとことんこだわったが現実は厳しかった。関脇となった同年九州場所は初日から4連敗したところで力尽きた。
年が明けた翌場所は番付を前頭十枚目まで落とした。得意の左上手を取っても寄ることができない。途中休場から再出場するも8敗7休とひとつも白星を挙げることができず昭和以降、史上4人目の大関経験者の十両落ちが決定した。膝のケガに加え糖尿病による体調不良も抱えていた。
プライドをかなぐり捨てて上がった十両の土俵では5場所ぶりに15日間皆勤したが6勝どまり。悪い流れは歯止めがきかず翌夏場所は十両八枚目で9敗6休。関取の座を明け渡すことが確実となり「自分だけでは決められないので親方、おかみさんと相談して」と進退について言及。元大関が幕下に陥落なら江戸時代の看板大関の例を除けば明治以降初めてのケース。幕内優勝者が幕下に落ちることも前例がない。
「親方に何回も辞めさせてくださいと言いに行った」。当時26歳の元大関は心身ともにどん底でもがき苦しんでいた。「辞めるにしても辞めないにしてもまずは病気を治せ」と師匠の伊勢ケ濱親方(元横綱旭富士)から説得されて現役続行を決意すると、しばらくは本場所を離れて治療に専念することになった。
4場所連続全休で迎えた2019年春場所の番付は序二段・四十八枚目。屈辱にも耐えて上がった土俵は本来の相撲とは程遠かったが7戦全勝。優勝こそ逃したが復活ロードの第一歩を踏み出すと、その後は順調に番付を戻していった。復帰から所要5場所で関取の座を取り戻すと十両は2場所で通過。そして久々となる幕内の土俵は「今できることをやるだけ」と無心で臨むと気がつけば優勝争いの単独トップに立っていた。十三日目、朝乃山(高砂)との新旧大関対決では右四つに組み合うと全盛期を彷彿させる力強い相撲で堂々の寄り切り。地獄を見てきた男の精神的な底力も大一番を制した大きな勝因の一つだったに違いない。
コロナ禍で人々の心がふさぎかちなご時世で相撲ファンは史上最大の復活劇に酔いしれた。しかし、復活ストーリーが完結するのはまだ先のことになりそうだ。
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