人類が抱いてきた夢「不老不死」。漫画やアニメなど、空想の物語では様々な設定で登場してきたものだが、実は将来、「意識そのものを肉体から離して機械の中で生かす」ことで不老不死が実現できると主張しているのが、東京大学大学院の渡邉正峰准教授(脳科学)だ。
・【映像】ヒトの意識を機械にアップロード!? 脳と機械を"一体化"
人が死後も仮想現実で生き続けられるようになった2033年を描いた Amazonプライムビデオのオリジナル作品『アップロード~デジタルなあの世へようこそ~』が米紙『USA TODAY』で上半期ベストドラマに選ばれるなど人気となっているが、渡邉准教授も「結局、脳は電気回路に過ぎないので、その仕組みさえ再現できれば、“見る”“聞く”“考える”“思い出る”といった感覚が、肉体から完全に離れたところで実現する」と話す。つまり、本物の自分とは別の自分を機械の中に作り出すことで、肉体が死んでも意識は生き続ける、不老不死が可能になるというのだ。
絵空事に聞こえるかもしれないが、渡邉准教授は本気で、「ぶっ飛んでいて申し訳ないが、1万年後とか10万年後の世界を見てみたい。宇宙に飛んで行ってみたい。そういう願望が強い」と話す。20年以内に「人間の意識を機械にアップロードすること」の実現を目指し、ベンチャー企業・株式会社MinD in a Deviceの技術顧問としても同様の研究を行っている。
■実現のための3ステップ 1.「“意識”が宿る機械」の開発
渡邉准教授によれば、実現までの道として、3ステップからなる「意識のアップロード」が必要だという。まず最初のステップは、“ニュートラル(まっさらな状態)な意識”を持つ機械(=スーパーコンピューター)を用意することだという。「意外に思われるかもしれないが、多くの脳科学者は機械にも意識は宿ると考えている。なぜなら脳も電気回路なので、それを再現することができれば、意識も宿るはずだ」。
ここで渡邉准教授が定義する「意識」とは、景色が見える、音が聞こえるという感覚のことを指すのだという。「例えば水が、自分が入っているペットボトルについて“冷たいな”などと感じているとは思えない。しかし脳の場合は非常に不思議なことに、水と同じく顕微鏡などで覗けば物理現象に過ぎないのに、なぜかよく分からないが第一人称的な主観が生じる。最近のスマホは顔検出をしてピントを合わせて撮影し、ピクセル情報として記録する。脳も客観的に捉えれば同様で、網膜が捉えた映像を処理して顔検出し、眼筋を駆動することによってレンズを調節しているが、この一連の処理をしながら“青が見える”と感じる。こうした感覚自体を意識と考えている。ニュートラルな意識というのは、それが誰のものでもないというイメージだ」。
さらにこの「意識」はロボットやコンピューターでは実現が難しいものなのだという。「例えば100年後や200年後にロボットで実現できそうな機能は、僕たちの定義からいうと意識ではない。例えば将棋のAIは棋士と同様に数十手先を読んでいるが、AIの意思決定は棋士のように深く鎮静していくような感覚や、ぱっと良い手が閃く感覚の中から出てくるものではない。そういう時の感覚、体験が意識だ」。
■2.機械と人間の“意識”の“一体化”、3.記憶の“転送”
次に、脳内の情報を読み取れる装置を脳内に設置、1の“ニュートラルな意識を持つ機械”と接続することで、両者の意識を一体化するという。
「ノーベル賞を受賞したスペリーという科学者の研究でもあるが、脳を構成する左右2つの半球を繋いでいる脳梁を外科的に切断すると、一つの個人の中に二つの意識が生じるとされている。この逆のプロセスで、第1のステップで意識が宿った機械と生きた人間の脳の意識をBMI(Brain-machine Interface)を通して接続するということだ。テスラのイーロン・マスクがニューラリンク社で研究開発しているものは、このBMIの一歩手前のようなものだ」。
最後に、2のステップを長時間行うことで、生きた人間の脳から“ニュートラルな意識を持つ機械”に膨大な量の記憶を転送するという。「2の状態で、記憶が転送されていないニュートラルなままの意識で生体脳が亡くなれば、機械の方が“ここはどこ?私は誰?”という状態になってしまう。そこで“プライベート化”するという意味で記憶を転送する。転送し終えると、意思がもう1人分、存在することになる」。
ここでリディラバジャーナルの安部敏樹氏が「観察者がシステムの内部に入っている以上、システムを完全に理解するということは不可能ではないか」と尋ねると、渡邉准教授は「左の脳が右視野を見て、右の脳が左視野を見ているが、おそらく意識は両者に宿っているだろうと考えられている。仮に僕の言葉をしゃべる左脳が、機械が担当しているはずの左視野も見えたとすれば、その時には両方に意識が宿ったとしか言いようがないですよねということだ。皆さん安心して金をかけて研究しましょうということだ(笑)」と回答した。
■ケンコバ「本当に幸せなのか?」
現時点では技術的に実現困難なこれらの3つのステップについて「僕はつい先日50歳になったので、あと数十年、何とか生きているうちにやりたい。他に志願者がいらっしゃらなければ、僕がやろうかなと思っている」と話す渡邉准教授。その先にあるのが、前出の映画のようなロボットや仮想空間への移植で、空中飛行、分身、瞬間移動、宇宙旅行、未来トラベルなども実現可能になるという。
さらに渡邉准教授は「僕たちが提唱しているのは、全くシームレスなアップロードだ。だから死ぬという過程もない。不謹慎な例えかもしれないが、僕の右脳に脳梗塞が起き、体に麻痺が残ったとしても、左脳は問題なく生きていることになる。それと同様に、機械との意識の一体化と記憶の転送ができれば、まさに死という断絶を介することなくアップロードできると思う」と、“不老不死”の可能性についても示唆した。
一方、ケンドーコバヤシは「映画などでは死ねないことの辛さがクローズアップされる。本当に幸せなのかという問題もある」と指摘。ジャーナリストの佐々木俊尚は「死生観が変わると思う。自分自身が肉体的に死んでも意識を持ったコピーみたいなものが生き続けているとしたら、それは生きているのか、死んでいるのか。例えば美空ひばりさんのVRが話題になったが、ああいうものが進化し、渡邉准教授のような研究によって全く同じようなパーソナリティを再現して歌わせたとしたら、それは本物の美空さんの歌だということになるのだろうか。そして、それで美空さん自身は幸せなのだろうか。僕がそのような話を記事に書いた時に、“そんなものは冒涜だ"と反感を抱く人が多かった。おそらく先生の研究のようなものが実現すれば、相当な論争が起きるのは間違いない」とコメントしていた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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