1日付けで内閣総理大臣補佐官(政策評価、検証担当)に就任した柿崎明二(かきざき・めいじ、崎=たつさきが正式表記)氏。9月までは共同通信の論説副委員長で、同郷の出身でもある菅総理を20年以上取材してきた人物だ。
・【映像】政権に"近すぎる記者"は必要?元TBSアナで元内閣審議官の下村健一氏が語る「期待と警戒」
政治記者など、報道関係者が政界入りするケースは珍しくなく、ニュースキャスターだった小池百合子都知事は、第1次安倍政権では総理補佐官を務めていた。しかし総理官邸によれば、国会議員を経ずに報道機関から“直接”就任するのは柿崎氏が初めてだという。
森友学園や桜を見る会などでは安倍政権を批判、就任にあたっても「メディアからの転身なので、いろんな受け止め方があると思う。それは私も自覚しているので、それを踏まえて結果を出せればなと思う」「(菅総理には)取材するときでも批判的に言ってくれと言われていたので、そういうことなのかなと思う」と話しているが、報道関係者を中心に、この“転身”には疑問の声も上がっている。
2日の『ABEMA Prime』では、菅直人政権で内閣広報室に勤務した経験を持つ元TBSアナウンサーの下村健一・白鴎大学教授に話を聞いた。
■友達に“寝返ったな”と言われた
下村氏はフリーアナウンサーだった2010年、当時の菅直人総理に請われて内閣官房内閣広報室内閣審議官に就任。2012年に退官した後も「契約アドバイザー」として活動した(第2次安倍政権初期の2013年3月まで)。
「学生時代、まだ新人議員だった菅(かん)氏のボランティア活動を手伝ったこともあり、“腐れ縁”だった。厚生大臣の時にはエイズ問題でバシバシやっていたし、民主党代表としても歯切れよくやっていたのに、急に総理になって、なかなかうまくいかなくなっていた。そんな時、みのもんたさんの朝の番組で私が“総理になってから、動きが全然見えないよ”と言ったところ、“情報の専門家として、手伝ってよ”と」。
しかし就任が明らかになると、「魂を売った」といった批判もされたという。
「私としては、“それまでと同じ”。情報収集したものを分かりやすく伝えるという仕事の舞台を官邸に移しただけだったし、“期待しているぞ”“こういうことをしたらどうか”といった連絡をくれた友達もいた。しかし、“何で権力側に行くんだ。裏切りじゃないか”などと言ってくる友達もいた」。
官邸入りした下村氏が取り組んだのが、ツイッターでの質問対応など、SNSを使った情報発信や総理のネット番組生出演や官邸懇談会のネット中継などの広報改革だった。また、3.11発生翌日には菅総理の福島第一原発視察に随行・撮影を担当、浜岡原発の停止要請の際には、首相会見の原稿作成も行った。
「菅(かん)さんは“イラ菅”と言われるくらい、カーッとなることの多い人だった。私は学生時代からの知り合いなので、“また怒ってるよ”という感じで、“そうは言うけど、こうした方がいいよ”と進言するなどしていた。スピーチライター的なことも時々やっていたが、心に訴えるような文章を書いても、本人が理系ということもあってか、“僕は詩人じゃないから”と言って、情に訴えるようなところはカットし、事務的なところだけを淡々と読むなど、あまり言うことを聞いてもらえなかった。そこはポジションの問題もある。内閣審議官というのは、総理補佐官よりもずいぶん下の方だから」。
■柿崎氏への“期待”と“警戒”
そうした自らの経験を踏まえ、下村氏は柿崎氏の補佐官就任について「政府の考えが国民に共有されるべきなのはどこの国であっても当たり前のこと。その意味では、メディア出身者が中に入って“これはこういうふうにちゃんと伝えるべきだ”という役割を担うのはいいことだ。だから“頑張ってね”と言いたい。一方で、得たポストを守りたいという心理も働く。“ここはちょっと折れなくちゃ。大義のための小さな妥協だ”、みたいなことが重なるうちに…ということにもなりかねない」と話す。
「ジャーナリストの役割は、権力の監視、権力への批判だ。柿崎さんはジャーナリストを辞め、政府の人間になる道を選んだわけだが、総裁選の最中から誘われていたという話もあるので、共同通信が記事を検証した。結果、偏りがないことを確認したというし、柿崎さんは自身も政権に辛口な人だったので、私は希望的観測をしている。もちろん菅さんは“意に沿わない官僚には異動してもらう”ということを言っている。それを柿崎さんが感じ取り、先回りして行動するようにならないか、という懸念はあるし、仲良しのジャーナリストが入ったわけではないことに皆が驚いているという時点で、菅総理の作戦としては成功しているとも思う」。
これら“期待と警戒”について、テレビ朝日の平石直之アナウンサーは「自分が行政の側に回ることを想定せず、取材しかしませんよというスタンスでは、ともすれば中身や実態を知らないまま、批判のための批判になってしまう可能性もあるかもしれない。長い目で見れば、当事者になってみるのも、取材の手法の一つになるかもしれないし、出たり入ったりがあってもいいんじゃないかという考え方もあると思う」とコメント。
すると下村氏も「みのもんたさんの番組に出演しているとき、後期高齢者医療制度に対して、みのさんが“後期ってなんだ。老人いじめの発想で、ひどい”と怒り、大批判キャンペーンを展開した。私は企画会議で“若手官僚でもいいから、これが実現できなければ老人医療が破綻する”という、発案した政府側の思いを語る回を放送しようよ、と提案した。しかし“我々は政府広報ではない。批判するのが役割だから、そんなことはすべきではない”と言われてしまった。ただ、これでは“是々非々”ではなくて“非々非々”になってしまうかもしれない。やはり、政権側に入った経験のある人間が伝えることも必要ではないかと思っていた」と回答。
「官邸入りする私に“大本営発表をやるのか?”という人もいたけれど、大本営発表をしていた時代は、自由に批判できるメディアはなかった。だから“政府側からの私の発信に対して、同僚だったあんたたちが建設的な批判をしてくれよ”と言った。アメリカでは政府に入ったジャーナリストが再びジャーナリズムの世界に戻ることもあるが、経験を生かし、役割に徹しきるということがある。私が官邸に入って得たのは、テレビ番組は放送が終われば“お疲れさまでした”だけれど、政府の人は解放されるときがないんだなという実感だったし、それだけでも新しい発見だった。柿崎さんにも色んなことを発見してもらって、その経験を国民のために使って欲しい」。
■人心掌握に長けた菅総理の下で、“仕事”ができるのか?
一方、編集者兼ライターの速水健朗氏は「菅総理は気になったジャーナリストが昇進すると花束を贈るなど、メディア関係者の人身掌握術に長けていると言われている。柿崎さんについても、“陥落したんだな“と思った。柿崎さんにも先輩や後輩などがいるはずだし、そういう意味での弱みもある。“これで批判者が一人減った”というだけでなく、その弱みをもった共同通信はどうなるの、という話にもなると思う。アメリカでは広報担当者をメディア経験者で埋めていくこともよくあるが、日本でもそのようなことになったとき、出身メディアは信頼されるのかどうか、そういう議論はあまりされていない気がする」と指摘。
実際、菅総理への取材経験のある記者によれば、議員だけでなく、記者に対する電話やメールへの反応が早くてマメで、“サシ懇”(記者との1対1の懇談会)も分け隔てなくやるので、皆が“自分は特別だ”と思ってしまうのだという。
「もちろんメディアを、そして柿崎さんを監視することが、これからも大事だと思う。私は“安倍政権のマスコミ操作をどう思うか?”と尋ねられると、“印象が良くなるように伝えて欲しいと権力が思うのは当たり前のこと。だから様々なアプローチを仕掛けてくるのも当たり前のこと。それ自体をけしからんというのは、とても幼稚な考えだと思う。問題はアプローチを受けたメディア側がそこに乗っかってしまうかどうかだし、国民はそこを見ていなくてはいけない。サシ飯食ったって何してたって、結果的に対等な取材活動になるんだったらいいが、”総理と親しいんだぜ“というポジションを失いたくないがために報道を歪めているとしたら、そこを批判するのが国民の仕事になる」。
さらに速水氏は「“人事はメッセージ”という話もある。官邸に役人経験のない人を入れることで、官僚たちへのメッセージとしている部分にあると思う。官僚は外から来る人、経験がない人を非常に嫌うと思うが、下村さんも、そうした面でのやりにくさを感じたのではないか」と質問した。
すると下村氏は「それはもう、“外から来たの?しかもメディアから来たの?”ということでバリバリに警戒され、メチャクチャやりにくかった。こいつに何か喋ったら、外に漏らすんじゃないかと疑われた。だから最初は総理執務室のミーティングでも部屋の一番隅にある花瓶の台の上にお尻だけ乗っけて、それからソファの一番端に座って…と、少しずつ溶け込んでいけるよう努力した。警戒心を解かなければ仲間には入れないし、情報もシェアされない。柿崎さんも今はメディアと官邸の両方から疑われ、辛い思いをしている。うまく立ち回りながら力を発揮し、やりたいことを実現できるかどうか。これからが勝負だと思う。我々も“取り込まれたね”と頭を叩くだけではなく、“頑張れよ”とケツを叩き続けることが大切だ」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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