「退院の希望がなかった時、飛び降りて死のうと思ったこともあった。本当の自由が欲しかった」。
“精神科病院大国”と呼ばれる日本。多くの国が精神科の病床数を減少させるなか、日本は逆行している。そして問題とされているのが、長期入院だ。平均入院日数は他の先進国の10倍もあり、WHOからは“深刻な人権侵害”だと勧告されてきた。伊藤時男さん(69)も、40年にわたり精神科病院での生活を強いられてきた一人だ。
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■「このまま病院にいたいという気持ちが強くなっていった」
伊藤さんが病を発症したのは16歳の時、父の再婚相手との関係が悪化、家を飛び出して働き始めた頃だったという。「“あれ、俺もしかしたら天皇と親戚じゃないか”“俺より偉いやつはいない”という妄想が起きた」。精神科病院で統合失調症と診断され、即入院。退院したのは約2年後のことだった。
服薬によって症状は抑えられていたというが、周囲の偏見は激しく、足がつって騒いでいる伊藤さんを見た親戚が“症状が悪化した”と感じ、再び入院させられることになってしまった。
そして22歳で父の住む福島県の病院に転院。ここでは“治療の一環”として、平日朝9時から夕方5時まで、近くの養鶏場などでの“院外作業”に従事した。「鶏のフン出し。大変な仕事だ。ぴゅっと飛んで来て、口や鼻に入りそうになる。酷い目に遭った。それでも、転院する前に父に会った時、背中が小さく見えた。不憫に思えて“福島の病院に行ったら模範的な患者になろう”と誓っていた」。
“早く退院して父を安心させたい”という思いから、どんな嫌なことも我慢しようとしたという伊藤さん。症状も服薬で抑えられていたが、10年、20年と時間だけが過ぎ去っていった。そして伊藤さんに、閉鎖的な環境に長期入院することで起きる「施設症」の症状が現れる。「ご飯は食べさせてくれるし、こんな良いところはない。このまま病院にいたいという気持ちが強くなっていった」。
入院生活が30年を過ぎ、伊藤さんが還暦を迎えた2011年、東日本大震災の発災に伴い、病院が避難地域となった。今度は茨城の病院に転院することになったが、1年後、退院しても問題ないとの診断を受け、グループホームに入居することになった。
伊藤さんが入居したグループホームを運営する社会福祉法人「アルカディア」の中田駿理事長は「話を聞いたり、表情を見たりした限り、もっと早く退院できた人なんだろうな、この人は大丈夫だなというのが第一印象だ」と振り返る
「やっぱり父親孝行したかったなって。弟が言っていた。死ぬ間際まで“時男、時男”って言ったんだぞって。不幸なことばかりしたから、それだけは悔いが残る」と語る伊藤さん、現在は群馬県太田市のアパートで一人暮らしをしている。障害者年金の8万円で日々の生活をやりくりしている。
そして今年9月末、伊藤さんは「精神障害者が地域で暮らすための環境整備を国が怠ったために、自由に暮らす権利を奪われ人権を侵害された」として、国を相手取り裁判を起こした。「入院が長すぎると、どうでもいいやって気持ちになってくる。そういうふうになっている人がいっぱい居る。私は退院ができないことを苦に自殺した人も見てきた。看護婦さんに“退院したい”と言ったことを咎められ、近くの線路に飛び込んだ。そういう人をなくすために裁判を起こした」。
■欧米と逆行する日本の精神科医療制度
では、なぜ伊藤さんは40年にも及ぶ入院を強いられたのだろうか。
伊藤さんが伊藤さんが福島の病院から入手したカルテには、穏やかに過ごす様子が記されており、入院中に幻覚などの症状が出たのは入院14年目(37歳)からの23年間で、わずか2回のみだったという。ソーシャルワーカーで人権活動家・精神医療国家賠償請求訴訟研究会代表の東谷幸政氏は、この伊藤さんのカルテを踏まえ「僕が担当していれば、おそらく1、2年もかからずに退院できたと思う」と話す。
「決まった基準はないが、普通は地域社会で生きていけるかどうか、といった観点からの総合的な判断になるが、医師がきちんと診断できていなかったのだと思う。また、家庭の問題があったかもしれないが、もし家族が反対したとしても、ソーシャルワーカーや病院が連帯保証人になってアパートを借りて地域に出すこともある。そういう環境の原因があったと思う」。
統計によれば、オーストラリア、フランス、ドイツなどの先進国が精神科の病床を減らしていく中、日本は逆行しており、世界の病床のおよそ2割が集中している。さらに平均入院日数は先進国が28日に対して日本は274日。5年以上も入院している人は9万人にも上っている。(出典:精神保健福祉資料)。こうした状況から、日本の精神科医療はWHOから“深刻な人権侵害”として勧告されたこともある。
背景について東谷氏は「精神保健福祉法の中では、任意入院、医療保護入院、措置入院の3つの制度がある。任意入院は自分の判断だが、あとの2つは医師による強制なので、退院についても決定権は医師の側にある。また、欧米では家庭訪問なども含めた公的な支援制度があるが、日本ではそれがないために、家族にそれを押し付けている。だからこそ、負担を感じた家族は病院に入れたがる。そして民間病院は営利優先になりがちで、薬を大量に投与して生活能力を奪うという治療方法がメインになってしまう。国もこうした精神科病院の現状を把握しているにもかかわらず、ちゃんとした指導監督をしていない」と指摘する。
「欧米では1960年代から地域精神医療に転換し、精神医療はおしなべて国営か州立の公的な病院にしていった。1968年にはWHOが勧告を発したが、これを日本政府は無視して民間精神病院を漸増、今や9割が民間になっている。また、精神科特例という制度があり、医師や看護師の数が一般科に比べて少なくてもいいということになっている。入院日数もOECDの平均の10倍だ。入院が3カ月過ぎると診療報酬の点数は下がるが、それでも入院させておけば儲かるという診療報酬の体系になってしまっている。背景には日本医師会、日本精神科病院協会、そして族議員が強いこともある。加えて、精神病に罹った時に家族や本人がどう対処すべきかといった教育が学校でなされていない。欧米で偏見が少ないないのは、教育がきちんとなされているからだ」。
■乙武氏「そんな時代があったの?」と驚かれるような社会に
そうした中、現状を改善する動きも出てきている。東京都東村山市にある多摩あおば病院では、平均入院日数が95日と、全国平均のおよそ3分の1となっており、1年以上入院する人の割合も全国平均の6分の1だ。他の病院で長期入院とされる人も、この病院では退院を可能にしているという。
「受け入れることはできないと、家族に反対されることもあるが、その場合、じゃあひとり暮らしをしましょうよって話をする。実はアパートでの一人暮らしというのが一番うまくいくという方々も多い」と中島直副院長。地元の不動産会社と連携し、病院の近くに住居を借りるところまでサポートし、一人暮らしをしてもらいながら、地域の中で治療を行っているのだ。
「苦情があったり、近隣で問題が起こっちゃったりしたら、場合によってはまた入院して頂いてというフォローもしているし、デイケア、ナイトケア、訪問看護などで支えている」。
慶應大学特別招聘教授の夏野剛氏は「精神科にかかっている患者さんはマイノリティだと思っている方も多いと思うが、実は400万人を超えている。これは全国の高校生の数より多い。そのくらいの規模の方々の話なんだ、という意識が社会全体に足りなかったののではないか。医療制度にしても、目先の社会的な状況において一番効果的な方法を取っていると思う。よりマスの視点を入れて制度設計をしていなければいけなかったという印象を受けた」と話す。
作家の乙武洋匡氏は「はるか昔、僕のような身体障害者は生まれた瞬間に川に流されていたような時代もあった。僕が生まれる10年くらい前までは、そういう人間が生まれたということを恥じた親戚によって、座敷牢のようなところで一生を送らなければならなかった人もいっぱいいた。たまたま僕は1976年に生まれ、前向きに地域の中で育てようと思ってくれた両親のもとで育てられただけで、もしかしたら伊藤さんのような人生を送っていたかもしれない。“精神疾患があると、他人に危害を加えがちだから”という言い方をする人もいるが、数字を見ると年間検挙数のうち、そういう方の割合は極めて少ない。そういったことを踏まえて、数年後、数十年後には“精神疾患があるというだけで社会から隔離されていたの?”と驚かれるような社会にしていかないといけない」と訴えた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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