生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
【映像】ABEMAでみる
この記事の写真をみる(15枚)

 ここ数年、雨の降り方は明らかに変わった。「50年に一度」も、もはや珍しくはない。今年7月、そんな豪雨が再び列島を襲った。7県に大雨特別警報が出され、熊本県では日本三大急流の一つ・球磨川が氾濫、各所で水位が過去最高を記録した。流域は広範囲にわたって浸水、多くの人たちが取り残された。

 球磨川に寄り添うように225世帯が暮らす球磨村の神瀬地区も、壊滅的な被害を受けた。生まれ育ったこの地区に住みたいとの思いがある一方、激甚化する災害に「再び同じような雨が降ったら命を守ることができるだろうか」と葛藤する住民たち。(熊本朝日放送制作 テレメンタリー守りたい 守れない ~気候危機のただ中で~』より)

■安全な場所はほとんどなかった

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 命の危機に晒された地元消防団の副団長を務める上蔀忠成さん(46)は、「いつもだとゆっくり溜まる感じですけど、水位の上がり方が半端ではなく速かったんです」と振り返る。

 当時、避難所には高齢者や4カ月の赤ちゃんもいた。危険と判断した上蔀さんは自宅へ誘導。周辺の平屋の家は完全に水没、自宅の2階にも水が迫る中、消防団の仲間を見つけ、高台の保育園のプールをボート代わりに、妻と子どもを含め17人を救出した。最終的には近隣住民45人を何とか助けることができたものの、神瀬地区では3人が命を落とした。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 7月4日未明から8時間にわたって降り続いた激しい雨は各地点で最大の降水量を更新。冠水や崩落で孤立した村役場も、屋外の施設に本部を設けて災害対応をするしかなかった。

 住民福祉課長の大岩正明さん(51)は、冠水で役場に行くことができず、避難所対応に当たった。「千寿園で助けが必要だとの連絡が住民の方にありまして、私も一緒に行きました」。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 自身の母も入所していた特別養護老人ホーム千寿園は1階部分が水没。大岩さんは職員らと協力、70人の入所者らを2階に避難させようとしたが、球磨川とその支流は急激に増水、14人の命が失われた。

 「何とか浮いている物に乗せたいと、入居者の方を抱えて必死の思いでやったんですけど、バランスがとれないんですよ。乗せようとしても、すぐひっくり返るんです。とにかく(水面から)頭だけは出そうということで、ボランティアの方も職員の方も、必死で守ったんですけども…」(共に救助にあたった小川俊治さん)

 大岩さんも、「抱えているお婆ちゃんと一緒に沈んでしまうのかな、という気もしたのは事実です。自分は生き残りましたけど、近くにいた母のことは助けてやれなかった」と話す。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 千寿園では、大雨に備え避難計画を策定、年に2度の避難訓練実施も決めていた。ただ、大雨の中、身体の不自由な高齢者を避難先の候補である屋外の高台に避難させることに躊躇し、身動きがとれなくなったという。

 “1000年に一度”の大雨が降った場合、周辺は10m以上の浸水が想定されていた。しかし球磨村の88%は山間部で、78集落のうち実に68の集落が土砂災害警戒区域を内包している。村に安全な場所はほとんどなかったのだ。

■激甚化する豪雨災害

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 2週間が経とうとしていた頃、上蔀さんは泊まり込みで復旧に取り組んでいた。弟の一誠さんと、道路事情が悪く孤立状態が解消していない神瀬地区の住民たちが復旧作業をしやすいようにと水道施設を製作、地元の森林組合と協力して堆積した泥の撤去作業を進めていた。

 「神瀬って、年齢問わず本当にみんなで一緒になってなんでもする。今はみんなが離れ離れになっていますけどね。また戻れば何とかできるんじゃないかという気持ちがあって。その一番大事にしていたところが無くなるのが、ちょっと怖い」(上蔀さん)。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 人吉盆地から球磨村に入ると山に挟まれた地形に変わるため、球磨川の川幅は急に狭くなる。過去に何度も水害に見舞われてきたこともあり、上流域のダム計画中止に伴うかさ上げ工事なども実施してきたが、費用などの問題から完了はしていない。

 上蔀家が代々暮らしてきたこの土地も、“1000年に一度”の雨が降れば3~5mの浸水が想定されていた。自宅は水害に備えて1m以上の盛り土をして建てられていたが、今回の雨の被害は防ぐことができなかった。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 泥の中、長靴を着用して家の中を進む。荒れ果てた和室。小学4年と1年の2人の子どもが使っていた2階も浸水した。「怒りを通り越して、笑うしかないですよね。当たりたくても、誰にも当たれないですもんね」(上蔀さん)。妻の由美さん(43)は「いつまたこういうことになるか分からない。もしライフラインの道がだめですって言われたら…考えますよね」。家族は揺れていた。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 豪雨から1カ月が経とうとしていた頃、集落へとつながる国道がようやく仮復旧した。どこで暮らしを再建すればいいのか、悩みながらも前に進むしかない。球磨村では熊本県内で最も早く仮設住宅の入居が始まった。一誠さん家族も入居を決め、ここを拠点に自宅や実家の再建を目指す。

 球磨川沿いの渡地区では、水位が12.88mを記録、一誠さんの自宅も濁流に流された。熊本大学大学院の冨田智彦准教授は「当時、線状降水帯が複数並んでいた。つまり線状降水帯のさらに線状化みたいなことが起こったのではないか。あまり見ないというか、今回が初めてだ」と話す。1時間に80mm以上の猛烈な雨が降る回数は、2010年から2019年は年平均24回と、統計が開始された1976年から1985年と比べて1.7倍に増えている。

■それでも「神瀬は捨てたくない…」

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 自宅に工場を構え板金業を営んできた上蔀さん。しかし、父から譲り受けた機械や大事にしてきた工具もすべて泥水に浸かってしまった。「進んでいるようで進んでいないのか、よう分からんですよね。見えているものは片付けられているけど、しないといけないことがたくさんありすぎて、何をしていいかわからないですね」。

 進まない生活の再建、見えてしまう現実に苛立ちが募る。由美さんが「休まんといかんよ。きょうは帰る?ずっとここにおったらきりがないよ。ちょっとゆっくりしよ」、上蔀さんは「うん、休みますよ…」。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 親戚の家に身を寄せていた家族が久しぶりに一緒に過ごす夜。守りたい家族。どう決断をするべきなのか、答えは出ている。ただ、わかっていても認めることができない上蔀さん。「私にとっても神瀬は大事な場所ではあるんですけど、正直、気持ちは揺れますよね。子どもたちが安全に、健康に育っていくためにはどうしたらいいか考えないといけない」と話す由美さんに、上蔀さんは「自分が住んできた土地、住み慣れた土地、そこを離れることは考えられないですね。神瀬は捨てたくない」。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 同じ頃、特別養護老人ホーム千寿園には献花台が設けられていた。母を喪った大岩さんは、商店を切り盛りしていた母に好きだったお酒を手向けた。「こんな風に暑い日は、お客さんと一緒になってお昼からビールを飲みながら店にいたので。笑っている姿を思い出していました」。

 悲しむ間もなく災害対応に奔走してきた大岩さん。庁舎も復旧し業務を再開する中、ようやく生まれ育った故郷の様子を見にくることができた。お寺のスタッフに「ご心配かけました。この地区には、母と一緒に入所していた方もいる。その家族に申し訳ない。その日その場にいたのに、何にもできなかった…」と悔しそうに話した。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 ようやく片付けにめどがついた商店は、弟が継いでいる。「ずっとお袋が使っていたレジなんですけど、泥が噛んで動かんですね。こんなにひどいとは思わなかったです。無残ですね。球磨村の福祉行政をどのようにしていくか、住民が安心して暮らせる地域づくりを今後どのようにしていくか、福祉の社会をどのように築いていくか、しっかり考えて取り組んでいかないといけないと思っています」(大岩さん)。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 上蔀さんも、暮らしを再建しようとしていた。「家を解体されるのであれば解体して…」と話す行政の職員に、「そのつもりでおるとよ、だけど、とにかく神瀬をどうするか決まっとらんど?だから家建てたいと思っても、建てられんたい。自分の判断で、自費で住もうとしても水も出ないし住めない。同じ高さだと、また水が来る可能性もあるでしょ。答え出せって言われたって無理やもん」。

 浸水した家を片付けながら、暮らしの痕跡を探す作業も始まった。家族の写真を見つけるも、「何の写真かさえわかんない。一番かわいかった写真がぐちゃぐちゃ」と涙ぐむ由美さん。一枚だけ、きれいな息子の写真を見つけることができた。

生まれ育った土地が好きだ。しかし再び同じような雨が降ったら…熊本豪雨の被災地で葛藤する人々
拡大する

 「(神瀬は)元に戻るかな…戻したい…。でも、神瀬は絶対に残す。見えている景色がガラッと変わってでも、ここは残す。また集える場所を作る。それが今の願い」。上蔀さんはそう話していた。(熊本朝日放送制作 テレメンタリー『守りたい 守れない ~気候危機のただ中で~』より)

守りたい 守れない ~気候危機のただ中で~
守りたい 守れない ~気候危機のただ中で~
この記事の画像一覧
この記事の写真をみる(15枚)