「本当にやりたくないよね。“商品”を捨ててるんだからね…」「はぁ…それにしても良い色してんな。頭にくる」。
長野市で70年以上続く「中村農園」の3代目、中村太士さん(38)は、2.7ヘクタールの土地で栽培し、収穫を目前に控えたリンゴが全滅した。2019年10月の台風19号による豪雨で千曲川が増水、堤防が決壊したのが原因だ。
被災して間もなく、中村さんがノートに綴った言葉がある。「アップルライン復興」そして「生き残れるのか?」だ。「アップルラインが元の活気ある通りに戻ってほしい。必ず俺は元に戻せると思う。言い方悪いけど…災害なんかで無くなってしまうというのは本当に悔しくて」。
アップルラインは再び色を取り戻すのか。台風被災農家の決意を追った。(長野朝日放送制作 テレメンタリー『信州リンゴ また色づくまで~台風被害農家の決意~』より)
■「まずは仲間を助けて、畑のことを考えたい」
千曲川の西側にある長野市長沼地区。かつては養蚕が盛んだったが、たびたび川の氾濫に悩まされてきた。明治時代、桑より水害に強いとされるリンゴ栽培が始まり、主要産業に成長した。地区を通る国道18号は「アップルライン」と呼ばれ、道路に沿って観光農園や直売所が並ぶ。しかい今回の豪雨災害で、140ヘクタールものリンゴ畑が水に浸かった。市内では死者2人(災害関連死8人)、住宅被害3878棟という深刻な被害を受けた。
1人暮らしをしている渡辺マスエさん(83)の自宅を訪れ、被災した家屋を片付ける中村さん。「畑でも見に行ってみるか?」との誘いに、「行かない。体中がガタガタしていてさ…急にダメになっちゃった」「もう(農業は)できない…今この人にリンゴを全部お任せる」と渡辺さん。長沼地区でリンゴを栽培してきたが、この場所を離れることにしたのだ。
中村さんは、渡辺さんのようにリンゴ栽培が続けられなくなった高齢の農家から畑を借りて復旧させることで、いつかまた長沼地区に戻ってきてほしいと考えていた。「たまには畑を見に来てほしいですけどね。受け継ぐからには絶対に元の状態に戻して、ばあちゃんの畑でおいしい果物を作ることが恩返し」。
知人を通じて、平日に時間のある主婦を集めた。仲間の農家に派遣し、泥まみれになったリンゴ箱を洗ってもらうためだ。「僕はみんなのことをボランティアとは思っていない。復興をともにしていく仲間だと思っているから、申し訳ないけどご協力お願いします」と頭を下げる中村さん。「こうすることで、僕ら農家が畑や他にやらなければいけないことに目を向けられる。まずは仲間を助けて、畑のことを考えたい、その一心」。
■「考えるのは1人じゃないとできないから…」
ノートには「生活<仕事(農業)」と記されていた。「家を直して何になるんだと。畑が直らないと、来年も収入がないよねという目線で動き出した」。自分のことを後回しにしても、周りの農家を手伝う。そうすることで地域の復旧を目指した中村さんだったが、先の生活が見通せない中で、妻・香里さんとの間に溝ができていく。
「家が優先でしょ?と思いましたね。口も聞かなくなっちゃいました。リンゴで収入を得ているので畑作業に行くのはわかるけど、まずは家の現状をなんとかしないと…生活できないという不安が強くて」と香里さん。
大晦日、避難所で暮らしていた香里さんと2人の子どもは香里さんの実家に帰省した。浸水を免れた自宅の2階で、1人年越しを迎える中村さんは、「毎日こうやって、酒を飲みながら。本当は家族に寄り添っていなければいけないけれど…。考えるのは1人じゃないとできないから…」と、ノートに考えを記していく。そして「離農」の2文字を書き、「これが一番怖いよね」とつぶやいた。その頃、長沼地区のリンゴ農家295軒のうち、実に4割が離農や規模縮小を検討していた。
「おはようございます、明けましておめでとうございます!」元日、中村さんの姿はスキー場にあった。台風による被害はリンゴだけでも数千万円、農機具や自宅の被害を合わせると1億円を超えていた。生活費の足しにするためにアルバイトをしていたのだ。
■「英男さんが困っているんだから助ける」
堤防が決壊したことで流れ込んだ大量のドロ。厚さ5cm以上に溜まった状態が長く続くと、根が呼吸できず、リンゴの木は枯れてしまう恐れがある。全国から農業ボランティアが駆け付け、撤去作業を進めた。遅れ気味ではあったが、暖冬で雪が少なかったこともあり、春先までに作業は完了した。
千曲川の河川敷にあり、泥が60cmほど堆積していた畑を前に「これがうちの畑なんだけんね」と話すリンゴ農家の田中英男さん(81)。「あそこも辞めてしまった…採算が合わないから。手をかけて手入れしても、また水害に遭えばマイナスだからね…」。災害前は一面に広がっていたリンゴ畑。しかし今では栽培をやめてしまった農家も目立つ。
妻と2人で暮らす自宅の1階が浸水した田中さんも、日常生活で使うものが全て流され、一度はリンゴ農家をやめようと考えたという。「その時はさすがにね、これはリンゴ作りできないと思った」。
そこで田中さんは、1.4ヘクタールある畑の一部を中村さんに任せると決めた。中村さんは6人から農地を借り、自分の畑と合わせて、およそ4ヘクタールでリンゴ栽培をすることになった。
ハシゴの上り下りがあり負担が大きい剪定作業で中村さんの手を借りた田中さん。「おじいさん、おばあさんでリンゴを作っている状態。若い青年に助けてもらわないと」と話すと、中村さんは「就農したばかりの時に色々やり方を教えてもらって、最初に話せる関係になったのは英男さん。その英男さんが困っているんだから助ける」。
■「うちの旦那も良いことしたんだなと思って」
5月に入ると、より良い実をつけさせるために余分な花を摘んでいく作業だ。「こうやって花摘みができるとは思わなかった。あの泥だらけの状態からここまで畑が回復するとは思わなかったし、本当は手伝ってくれたみんなに一番先に見せたかったんだけど…」と目を細める中村さん。
ボランティアは多いときで1日に100人以上がやってきた。花を見てもらおうと考えたが、新型コロナウイルスがそれを阻んだ。それでも「良いものを作って、みんなのおかげでこれだけ出来たぞ、と見せなければいけない。そのためにも、絶対に手を抜けないよね」と前を向く。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、ボランティア活動は2月末から3カ月ほど自粛されることになった。本来、5月初旬には終わっていなければならない摘果 (実が小さなうちに間引く作業)も、大幅に遅れていた。
8月、中村さんたちは水に浸るなどの被害を受けて伐採されたリンゴの木や枝を箱に詰めていた。捨てられるはずだったものを農家から買い取り、「リンゴの薪」として販売する事業を立ち上げたのだ。40軒ほどの農家から15トン分を買い取った。専用の機械の購入や支払いに充てるため、600万円を借り入れた。
自分のことよりも地域を優先して行動する夫を受け入れることができずにいた香里さんだが、この日は笑顔が溢れていた。「手助けをしたお年寄りの“今年も良いリンゴが出来た”という笑顔を見られたときは、うちの旦那も良いことしたんだなと思って」。
初出荷では、アウトドア用品店に10kg入り25箱を卸した。店の担当者は「今、キャンプがブームなので、薪の需要がすごくある。これがただ捨てられてしまうのはもったいない。復興の役に立つなら、こんなに良いことはない」。中村さんも「下を向いていた時もあったけれど、納品できたことをうれしく思う」と話した。薪はネット販売も含めて2トンほどが売れ、農家の収入となった。
■「でもやっぱ甘いよね。今年は特に」
10月、アップルラインは赤く色づいた。
「1年が経ちましたね…中村さんにも剪定など手伝ってもらって…。ありがたかったね」と振り返る田中英男さん。栽培の規模を縮小、摘果が遅れたことで小さな実もあるものの、その多くは出荷することができそうだ。「水害の時には今年はまったく実がならないと思っていたが、たわわに実ってくれて。堤防の決壊というのはもう二度ないようにしてもらいたいね」。
中村さんも「去年の今ごろは果実を落としていた。あの時は、もうできない、もうどうでもいいと思ったよね。それから1年、色んな人が助けてくれて、家族とか地域の仲間が支えてくれて。今年は格別だよね。大事にお届けできれば」と笑顔を見せる。もぎたてのりんごを味わいながら、「毎年の味だよね、でもやっぱ甘いよね。今年は特に」と感慨深げだ。
にぎわいを取り戻しつつあるアップルライン。産地を守り、次の世代につないでいくことができるのか、これからが中村さんたちの正念場だ。(長野朝日放送制作 テレメンタリー『信州リンゴ また色づくまで~台風被害農家の決意~』より)