プロレスファン、とりわけノアのファンには真面目な印象がある。現在、試合会場では声を出しての応援がNG。ファンはそれを厳格に守る。文字通り固唾を呑んで試合を見守り、選手の応援は拍手・手拍子のみだ。だがそんなノアファンから、思わず驚嘆の声が漏れた。
2月12日、11年ぶりの開催となる日本武道館大会。そのメインイベントだった。昨年6度の防衛、今が全盛期と言っていいGHCヘビー級チャンピオン・潮崎豪に挑戦したのは武藤敬司だ。
武藤は過去にIWGPヘビー級(新日本プロレス)、三冠ヘビー級(全日本プロレス)を獲得しており、勝てば“メジャー3タイトル全制覇”となる。ただ武藤は58歳、ヒザを傷めていることはプロレスファンならずとも知っている。タイトルに挑戦することへの批判は本人にも聞こえていた。
もちろん体力では潮崎のほうが上だ。得意のチョップ、ラリアットを容赦なく叩き込んでいく。対する武藤は足4の字にシャイニング・ウィザード。場外からリングに戻りかけたところへの一撃、コーナーでの串刺し式、後頭部を狙ってと、虚をつく形で繰り出していった。
後半は潮崎有利な展開が続く。チョップ、ラリアットにゴーフラッシャー、雪崩式の投げは形が崩れた結果、より危険な角度になった。さらに潮崎はムーンサルトプレスも。
こうした技を、武藤はすべて受け、そしてフォールをカウント2で返し続けた。「さすがにこれで決まるだろう」という攻撃を食らいながら必死で肩を上げる武藤。プロレス界のレジェンドは、キャリアにあぐらをかくようなところがまったくなかった。それが観客にも伝わっていく。
潮崎を担ぎ上げてエメラルドフロウジョンを繰り出す場面もあった。言うまでもなくノア創始者・三沢光晴の得意技だ。武藤は“外”からきた存在だったが、この技一発で「武道館に帰還したノアの歴史」を味方につけた。試合後にはこう語っている。
「もしかしたら、三沢光晴は潮崎じゃなくて俺の応援してたんだよ。俺が弱かったら、永遠の恋人と呼ばれた三沢社長が弱かったことになっちまう」
自身の“歴史”でも観客を惹きつけた。潮崎にシュミット式バックブリーカー、そこからコーナーに上がる。プロレスファンなら、武藤が何を狙っているか瞬時に分かった。代名詞であり、現在は封印されているムーンサルトプレスだ。
武道館がどよめく。しかし思うように体が動かない。結果としてコーナーから降りた武藤だが、この「決意とためらい」、「技の未遂」で観客の心を一気に掴んだ。
そして猛攻に耐えまくり、最後は一瞬の大逆転。ロープに走り込んで豪腕ラリアットを狙った潮崎に、カウンターでフランケンシュタイナーだ。まだこの技があった。思わず「あっ」と声が出る。そして3カウント。第34代GHCヘビー級チャンピオンとして、武藤敬司はノアの歴史にその名を刻んだ。
武藤には歴史という武器があった。三沢光晴と同時代を生き、対戦が熱望されたことを覚えているファンは多いはずだ。しけしそれだけではない。タイトルマッチの中で“現役レスラー”として潮崎の攻撃を受け切り、30分近いタフな試合を乗り越えたのである。
「疲れた...ギリギリだった。全身、交通事故にあったみたいだよ」
全盛期のようには動けない。ムーンサルトは出せない。それが武藤敬司の“現在”だ。それを認めた上で、58歳はベルトを巻いた。ヒザを手術してからは、最悪の時期は脱した。充実した練習ができるようになり、調子も上向いた。日々「昨日の自分に負けない」ことをテーマにトレーニングに励んでいるという。
「レスラーは注目を浴びてなんぼ。レスラー冥利に尽きる。俺がベルト巻いてる以上、フルハウスの会場でやりたいね」
武藤敬司はレジェンドであり、同時にノアでのベルト姿は新鮮そのもの。できる技、できない技があり、それも含めて現在進行形のチャンピオンだ。
文/橋本宗洋
写真/プロレスリング・ノア