“額が割れる”ほどのヘッドバットをぶち込んで… 北宮が示した「マサ」を継承した者の矜持
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 3月7日、横浜武道館。33分3秒の激闘を制して健介オフィスの兄弟子・中嶋勝彦とのジ・アグレッションで2年半ぶりにGHCタッグ王座に返り咲いたマサ北宮は、額から血を流しながら「ふざけたおっさん連中から、死に物狂いで掴んだベルトだ!」と叫んだ。その形相は“獄門鬼”と呼ばれたマサ斎藤さんを彷彿とさせる凄みがあった。

【映像】額が“割れた”衝撃結末

 マサ斎藤とは、1964年の東京五輪レスリング・フリースタイル97キロ以上級(ヘビー級)代表からプロに転向し、フリーの一匹狼としてアメリカでトップレスラーになった名レスラーで、北宮にとっては憧れの人。高校、大学でレスリングをやっていた北宮は、入門した健介オフィスのスーパーバイザーだった斎藤さんの影響を大きく受け、2016年4月11日に本名の北宮光洋からマサ北宮に改名している。

 北宮は斎藤さんから改名の承諾をもらった時に「俺も今、カムバックに向けてパーキンソン病と必死に闘っているから一緒に頑張ろう。プロレスを諦めるんじゃないぞ」と檄を飛ばされたという。

 マサ斎藤の後継者の証は『JAPAN』の文字が縫い付けられた膝丈のニータイツとごつい体だ。斎藤さんが「ごつい体を作らなきゃアメリカでは金にならない」と、ウェイト・レーニングで筋肉の鎧をつけ、全盛期には180センチ、120キロのパンパンの肉体を誇ったのに対し、北宮は斎藤さんより小さい172センチながらも115キロの肉体を作り上げた。

 ただし、北宮は「僕は斎藤さんの弟子ではありません」と言う。一匹狼として全米を渡り歩いた斎藤さんのポリシーは「プロレスラーは個人商売だからアドバイスなんかしないよ。教えてもらうよりも自分でやった方が、全部自分のためになるから。プロレスは自分自身のプロレスを作るもんで、人に教えてもらって作るもんじゃないからね。俺は人から盗んだ」というもの。北宮はそのポリシーにも感銘を受けているのである。

 だから、あのごつい肉体作り、プロレスラーとしての精神も、捻りを加えた独特のバックドロップ……サイトー・スープレックスも斎藤さんに手取り足取り教わったのではなく、間近にいて、見て、感じて盗んだものだ。

“額が割れる”ほどのヘッドバットをぶち込んで… 北宮が示した「マサ」を継承した者の矜持
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 そして今回のGHCタッグ戦を制したのは、これも斎藤さんから盗んだ監獄固め。斎藤さんがプロレス人生の最後に開発したフィニッシュ・ホールドである。

 監獄固めは、その名の通りに斎藤さんが実際に獄中で開発した技。斎藤さんは84年4月6日、ウィスコンシン州ウォキショーでホテルの部屋をシェアしていたレスラー仲間のケン・パテラが起こしたトラブルに巻き込まれた。閉店していたマクドナルドに入ろうとして断られたパテラが店の窓ガラスを割ってしまい、通報を受けた警官がパテラと斎藤さんが宿泊していたホテルに急行、事件に関係ないにもかかわらず催涙スプレーをかけられた斎藤さんは、それが婦人警官だとはわからずに暴れて負傷させたことが罪に問われ、85年6月から86年12月2日までウィスコンシン州ホーキンスの刑務所『フランブル・ステート・コレクショナル・キャンプ・システム』に1年半も収監された。その時に出所後のカムバックに向けて「一度決まったら、絶対に脱出できない技を作ろう」と考案したのが、レスリングのトルコ刈りという技を応用した監獄固めなのだ。

 「脱出されたら、それは監獄固めではなくなる」。だから北宮は必死に耐えて下からビンタを飛ばしてくる杉浦に、自らの額が割れるほどのヘッドバットをぶち込んで、ギブアップ勝ちを奪ったのだ。それこそが「マサ」を継承した者の矜持である。

 斎藤さんは18年7月14日に75歳で亡くなったが、北宮がリングの最前線で頑張っている限り、その名前が歴史に埋没することはない。

文/小佐野景浩

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