民主党政権時代には、「子ども家庭省」をマニフェストに掲げるも見送られた。当時政権にいた議員は、「10年前に実現できていたらどれだけ違ったか…」と悔しさをにじませながらも経緯を振り返った。

 「当時は、子ども家庭省をどういう組織にするかという中身のデザインの議論から入ってしまったことにより、厚労省や文科省など、それぞれ子ども政策を担ってきた役所同士の綱引きが始まってしまった」

 子どもに関する政策を一元化することへの官僚の反発が大きく、実現に至らなかったのだという。

 今回あえて、「子ども家庭庁」のデザインの議論を詰める前に、まずとにかく箱を作ろうと動いているのも、創設に向けて着実に進みたい狙いの一つと言える。

 箱をつくった上で、そこに集まってくる様々な課題を具体的に検討していこうという手法は、菅総理肝いりで進められたデジタル庁の創設と同じである。