「俺はお前らの素材かと悟った」「次に命が助かるのなら、震災は忘れてもらってもいい」東京キー局が続けてきた被災地報道の“罪”
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 東日本大震災から10年となった3月11日も、テレビ番組では様々な中継や特集企画が組まれた。それらは視聴者、そして被災者にとってどのような意味を持つのか。そして今、本当に必要な取材とはどのようなものだろうか。

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 東日本大震災後に宮城県仙台市に移住、津波で甚大な被害を受けた荒浜地区で農家になった平松希望さん(28)は、「被災した当事者の方々にとって、当時のことを思い出すのはとても苦痛だ。それでも私たちが取材を受けることで防災意識や地域の魅力を届けられる手段になるので、震災報道はすごく重要なものだと思う」と話す。その一方、平松さんは「連絡が取れなくなる方がいる」と苦笑する。「いきなり“明日行っていいですか”とか。すごく軽く扱われていると感じる」。

■500回もの取材を受け…「“ああ、俺はお前らの素材か”と目が覚めた」

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 “3.11に向けて、たくさん取材依頼が来るが、今年は8割以上お断りした。まだまだ道半ば系、震災を忘れないで系、困っています系、こんなはずでは系。「女川で私はそう思って無いです」”。

 2年前、そうツイートして話題になったのが、老舗かまぼこ店「高政」(宮城県女川町)の高橋正樹さん(45)だ。「女川のことが少しでも世の中に広まってくれれば」という思いから、500回以上も取材に応じてきたという。ところが震災から7年目、「自分はあくまで素材なのだという悟りを開いてしまった」と振り返る。とりわけ高橋さんが不信感を抱いているのが、東京から取材に来るキー局の報道だ。

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 「都合の良い部分だけを切り取ったり、継ぎ接ぎしたりして、テレビ局側が言いたいことを僕らに言わせるような番組構成になっていたこともあった。とある番組は2日間の密着取材で、トイレの中までついて来た。それでも最終的には僕が0.5秒間、画面に見切れただけ。他は一切使われなかった。“あ、僕は素材だもんね”と感じた。そういう酷い扱いに疲れちゃった、もう加担したくないと思った」。

 そんな高橋さんの気持ちを一層強くさせたのが、震災で亡くなった祖父について話をしていたときのことだ。「泣いてしまって、言葉が出なくなった。その様子を見ていたディレクターが何かを達成したような顔になり、カメラマンも“いい画が撮れた”みたいな笑顔を堪えるのに必死な顔をしていた。“ああ、俺はお前らの素材か”と目が覚めた」。

■キー局は「“演じてくれる人”を探すようになっている」

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 こうした経験から、高橋さんはキー局に対し、次のように指摘する。

 「例えば街づくりの取り組みをしていても、震災と結びつけないと報じてもらえない。女川町では『ONAGAWACK』といって、アイドル60人とファン2~3000人がかくれんぼをするイベントを開催したが、これは震災や復興とは関係ない。それなのに“被災地でアイドルが復興応援イベント”と報じられてしまう。でも、そういう“パワーワード”を使ってもらえるようにしないと、僕らの取り組みが報じられない、というジレンマもある。

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 やはり東京の人たちは、僕たちのありのままの姿には興味ないんだと思う。困っている姿さえ伝えられれば、視聴者が涙を流してくれるから取材する人たちも、デスクに“こういう画を撮って来い”と言われ、少ない費用と日数で来るわけだ。そうすると、頑張っている人や意見を言う人よりも、“演じてくれる人”を探すようになる。だから僕たちも“どんな話を求められているのか”、というところが先に来てしまう。しかし、それらは本当の姿とは違う場合が多い。

 自分で自分を“メディアソムリエ”と言っているが(笑)、500件も取材を受けてきたので、取材する前のアプローチ、あるいは会って5分でだいたい分かる。“こういう取材がしたい”と依頼してくる人は、最初から震災のネタを撮りに来る人だ。“話を聞かせてもらえないか”という人は震災の悲しい話ではなく、女川の街づくりや、どんな未来に向かっているのかを撮りに来る人たちだ」。

■「次の命が助かるのであれば、むしろ震災のことは忘れてもらってもいい」

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 さらに高橋さんは、震災報道にとって本当に必要なのは「次に災害が起きた時、一人でも多くの命が助かるようにするための視点、それだけではないか」と投げかける。

 「それが抜け落ちて、ただ辛い、悲しいばかりだ。“孫を津波で亡くしたおばあさん、10年経っても心が癒さません”という話を聞いた時、“震災を忘れません”とは思っても、“では、自分がその立場になったら、どうすれば命を守れるか”という気づき、教訓が得られない。それでいいのか、メディアの方が。震災のことを忘れなかったとしても、死んでしまっては意味がない次の命が助かるのであれば、むしろ震災のことは忘れてもらってもいいとさえ思っている。

 いまスタジオにいらっしゃる皆さんは『災害伝言ダイヤル』の使い方、番号をご存知だろうか?いま住んでいらっしゃる場所の最寄りの避難場所をご存知だろうか?(スタジオ沈黙)…他人事ではないというのは、そういうことだ。もし南海トラフ地震が起きた場合、自分の住む地域に津波がどのくらいの時間でやってくるのか。それをシミュレートし、覚悟した上で暮らしているだろうか。そして、テレビはそのために必要な情報をなぜ頑張って伝えようとしないのか。とても残念だ」。

■ローカル局・テレビユー福島の元報道局長「心を折るような報道が少なくなかった」

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 高橋さんの話を受け、震災発生時にはテレビユー福島(TUF)の報道局長を務め、現在は飯舘村職員の大森真さん(63)は「大変失礼しました、という気持ちが最初に立った。申し訳ない。僕もそういうメディアの一員だった、と反省した」と切り出した。

 「僕の場合はローカルメディアの人間ということもあり、原発の問題が大きかったが、それに関しても東京とは少し違うなという感じがあった。やはり中央のメディアには、不安を不必要に煽るような、センセーショナルな報道の仕方をしていたと思う。放射線によって遺伝的な影響が起きることはまずないと分かっているのに、どうしてもそういうことは報じてくれない」。

 大森さんもまた、「これから前を向こうとしている福島の被災者の人たちの心を折るような報道が少なくなかった」と、キー局のスタンスに疑問を投げかける。

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 「震災から1年が経ったときに報道部長になったが、最初に部員たちに言ったのは、“福島で生きていく上での誇りと自信を取り戻すお手伝いができるような報道をやっていこう”ということだった。そういう意識が、果たして中央の方々にあっただろうか。例えばその頃、福島市内の小学校で運動会が行われた。しかも震災後初めての屋外での開催だったので、キー局から扱いたいとの依頼を受け、取材した。しかしデスクから僕のところに電話があり、“放射能が舞う中でマスクをしながら運動会をやっている、という異常性こそがニュースなのであって、マスクをしていない画ならニュースでも何でもない”と言われた。それは頭にきた。

 背景にあるのは、“権力に対峙し、チェックしていくのが報道の仕事だ”という教えだと思う。僕自身、記者になりたての頃にすごく言われたことだ。ただ、それを強く持ち過ぎてしまうあまりに裏付けのための話ばかりが欲しくなり、被災者の気持ちを忘れてしまう。そういう部分があったのではないか。最低限の事実は押さえるということ、そして、たとえ当事者でなくとも、その思いを想像することはできるはず。“寄り添い”という言葉はもう聞くのも嫌だという人も知っているが、それでも相手の少しでも幸せになるために何ができるのか、ということを考えながら取材するようになれば、行動も根本的に変わるのではないか」。

■テレビ朝日の平石アナ「キー局ならではの“分業制”が背景に」

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 東京から被災地取材に何度も足を運んだテレビ朝日平石直之アナウンサーは「大森さんが仰った通り、私も本当に申し訳ないと思う。取材されたこと、放送されたことにより傷つくという、あってはならないことが現実には起きていると感じている」と話す。

 「やはり共通しているのは、“ストーリーありき”ではないかということだ。そして、そのためのピースを探しに行っているということだ。本来、取材に行く時には仮説を持って行くが、現地で話を聞いているうちに違うと思えば方向転換して進めていける。しかしここに東京、キー局ならではの問題がある。それは分業制だ。取材に行くディレクター、記者、アナウンサーが構成・企画をし、原稿執筆と編集も行えればいいが、すべてが分業になっているので、どうしてもピースを埋める、ということが現実に出てくる。そこに抗わないといけないが、現場で取材する人の立場が弱いと“こういう画だけ撮りにきた。こういうコメントだけ欲しい”というようなことが起きてしまう。高橋さんを2日間も密着したのに出さなかったというのも、申し訳ないがそのような作業や優先順位付けの中で起きたのだと思う」。

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 その上で平石アナは「それでも震災に限らず、事件・事故も含めて、こういう節目に放送する意義はあると思う。今なお苦しむ人がいて、覚えておかないといけない教訓があったとしも、時間が経てば経つほど放送するタイミングが難しくなってしまう。そこで私が言えることは、“メディアを選んでください”ということ。そして私たちは“選ばれるメディア”にならないといけないということ。荒らして帰るような“狩猟型”の取材ではなく、種を撒き、繰り返しお会いする中で信頼関係が芽生えていくような、“農耕型”の取材をしていきたい」と訴えた。

■EXITりんたろー。「見ている人もバカじゃないから気づき始めている」

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 テレビ番組に出演する立場として、また若い視聴者の一人として、EXITの2人はどう受け止めているのだろうか。

 りんたろー。は「僕たちも言いたくないことを言わされたり、都合のいいところだけ使われていたりと、似たような経験をした。そしてテレビに慣れている僕らはいいけれど、一般人の方、しかも被災されて傷ついている方なら、なおさらケアしないとダメだめだ。そして、各局が同じような映像を流しているところも変わらないといけない。そうやってどんどん衰退してきたと思うし、見ている人もバカじゃないから気づき始めている。もっと違う角度で流す局や番組があってもいいのかなと思う」とコメント。

 兼近大樹は「震災が起きたのは19歳の時だったが、“こんなにつらい人がいたんだ”っていうことしか分からなくて、“この人のために何ができるんだろう”ってところにたどり着けるような報道にはなってなかったと思う。僕みたいなクソみたいな人生を送ったヤツが震災のことを知れただけでも意味はあったと思うけど、そこまで教えてくれれば、もっと深く入っていけたのかなと思う。そして報道、ニュース番組というのは、事実を受け取るためにあると思うし、面白い、面白くないはニュースまでの時間をつなぐバラエティが考えればいい。報道まで“面白ければいい”なら、クソみたいな話だ」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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