3月7日の横浜武道館で自らの額が割れるヘッドバットを叩き込み、杉浦貴を監獄固めでギブアップさせてGHCタッグ王者になるという物凄いエンディングを創り上げたマサ北宮が、またまた戦慄シーンを生み出した。
今度の相手は4月29日の名古屋国際場で挑むことが決定しているGHCヘビー級王者・武藤敬司。その前哨戦となった4・18後楽園ホールでの武藤&丸藤正道vs北宮&中嶋勝彦のタッグマッチで武藤を監獄固めに捕らえ、両耳を掴んでヘッドバットを叩き込むという荒技を敢行。北宮自身も額が割れたが、武藤の額を割って流血させ、さらに2018年3月に人工関節設置の手術をした武藤の膝を粉砕してみせたのである。
振り返れば、武藤が初めて膝にメスを入れたのは1988年の暮れ。最初は右膝半月板の手術だった。32年以上も前のことだ。それから武藤は膝の爆弾と戦い続け、右をかばっているうちに左膝も悪くなって手術。そんな武藤に「医学はアメリカだよ」とアドバイスしたのは、北宮が師と仰ぐマサ斎藤だった。
キャリア2年足らずで単身渡米してサンフランシスコ、フロリダで日本人レスラーとしてトップを張った斎藤さんは、やはりフロリダ、テキサス、WCWでトップスターになった武藤にシンパシーを感じていたようで、武藤自身も「当時、マサさんは日本人レスラーの中で俺を一番買ってくれていたと思うよ。やっぱり少しだけ同じ道程を歩いているからね。当時、アメリカでトップ取るのって難しかったじゃん」と言う。
武藤を可愛がった斎藤さんは、膝の内視鏡手術をうけさせるためにミネアポリスに連れて行き、その後も武藤は日本の厚生省に認可されてなかった潤滑剤を膝に打つために半年に1回渡米していたが、そのたびに斎藤さんは同時通訳ができる倫子夫人と同行して面倒を見ていた。時には武藤が家族を連れて渡米することもあり、仕事を超えて家族ぐるみの付き合いがあった。
「俺、新日本の後半の方はいつもマサさんと一緒だったんだから。マサさんも巡業には付いていたからさ。だから昼飯はマサさんと2人っきりだよ、いつも。じゃんけんで負けた方が支払いすることになってて、7割ぐらいはマサさんが負けてたよ(笑)。マサさんだと気が楽なんだよ。アメリカンだからさ、先輩後輩っていう見方をしない部分もあったりするじゃん。俺らにとっては大先輩なんだけど、同じ目線で付き合ってくれたというか」とは武藤の思い出話である。
斎藤さんが公の場に最後に出たのは16年12月2日に城東区民センターで開催された『ストロング・スタイル・ヒストリー』というイベント。斎藤さんは挨拶だけの予定だったが、そこに海賊男に扮した武藤が現れて斎藤さんに襲いかかると、何と体が動かないはずの斎藤さんが反撃するという感動的な場面が生まれた。武藤なりの大先輩へのエールが功を奏したのだ。
そこから斎藤さんはパーキンソン病を克服し、カムバックするという大きな目標を立てたものの、18年7月14日に75歳で死去。同月22日の告別式で弔辞を述べたのは武藤だった。武藤と斎藤さんには、北宮が知らない絆、つながりがあったのである。
そして今、マサ斎藤を継承するマサ北宮が、マサ斎藤が可愛がり、治療に尽力した武藤敬司の膝を破壊してGHCの頂点を掴もうとしているというのは皮肉な巡り合わせ。しかし、これが勝負の世界である。きっとマサ斎藤は、北宮が覚悟を持って「武藤の膝を破壊」というタブーに敢えて挑むことに「YES!」と首を縦に振るに違いない。
文/小佐野景浩