それはまさに壮絶なシバキ合いだった。藤田和之と杉浦貴のエルボーと張り手の応酬は、じつに計112発! そして最後にリングに立っていたのは“野獣”藤田だ。
3月20日の後楽園ホールで拳王を撃破して第4代GHCナショナル王者になった藤田に杉浦が「俺は強い藤田和之と戦いたい!」と挑戦表明したことで杉浦軍同門によるタイトルマッチが4月29日の名古屋国際会議場に決定。そして4・18後楽園ホールの前哨戦で、とても同門とは思えないシビアな攻防が展開されたのだ。
後楽園で組まれた藤田&ケンドー・カシンvs杉浦&桜庭和志というのは、純粋に凄いカード。試合はカシンvs桜庭でスタートしたが、この2人は1995年10月9日の東京ドームにおける新日本プロレスとUWFインターナショナル対抗戦のオープニングマッチで激突し、2000年の大晦日には大阪ドームにおける『INOKI BOM・BA・YE』で一騎打ちを行っている。そのカードがノアのリングで見られるというのだから、これも時代の流れである。
カシンと桜庭が丁々発止の攻防を繰り広げる中、藤田と杉浦は試合に目もくれずにコーナーに立ちながらの視殺戦。カシンと桜庭が場外乱闘になると、2人ともリングインしての視殺戦を繰り広げた。
そして5分経過でようやく藤田vs杉浦の局面に。睨み合って微動だにしない両雄。30秒ほど経過して先に動いたのは杉浦だ。「俺はあの睨み合うのは嫌いだから、彼が動かないんであれば、俺が先に間合いを詰めてポジションを取りにいくから」と言っていた杉浦は、藤田に歩み寄るとエルボーバットの3連打。そして「動け、コラ!」の怒声とともに杉浦が張り手を浴びせると、藤田もエルボーで反撃し、冒頭の物凄いシバキ合いが始まった。
杉浦のエルボー24発、張り手33発、藤田のエルボーは22発、張り手33発にはそれぞれの思いが詰まっていた。杉浦は「強い藤田と戦いたい」以外にはほとんど言葉を発していないが、これまでの格闘人生を振り返ると、その強い気持ちは理解できる。
ともに1970年生まれの同級生だが、レスリング、プロレス、総合格闘技……いずれも藤田が先を走っていた。杉浦がレスリングを始めたのは高校卒業後に自衛隊に入隊してからだが、藤田は名門・八千代松陰高校でレスリングを始め、3年生の時の88年にはフリースタイルでインターハイ74kg以上級優勝、全国高校選抜大会115kg級優勝を果たし、日本大学に進んでからは89~92年の4年間、全日本学生選手権で優勝している。
杉浦はフリースタイルではなくグレコローマンで92年と93年の全国社会人オープン選手権74kg優勝、94年の国体74kg優勝、95年全日本選手権82kg優勝の実績をあげた。
2人の共通の目標は96年のアトランタ五輪だったが、ともに代表予選会となった同年4月の中国・蕭山におけるアジア選手権で入賞できず、藤田はすぐさまプロに転向。杉浦は2000年のシドニー五輪を目指したため、プロ転向は藤田より4年遅かった。
杉浦が全日本プロレスに入団した2000年、すでに藤田はPRIDEで総合格闘技デビューも果たしていた。杉浦は02年6月に総合デビューを果たしたが、それは同じレスリング出身の先輩カシン、同学年の藤田らの姿を見て「プロレスラーになったからには総合は避けて通れない。1回はやっておかないと!」と思ったという。同い年でも杉浦にとって、藤田は一つの指標だったのだろう。
杉浦はそうしたプロになる以前からの思いをエルボーと張り手に込めた。それを藤田は真っ向から受け止めた。杉浦のエルボーは丸藤正道が「三沢さんレベルまでいっている。気が入っちゃった時の杉浦さんのエルボーは本当に鬼だ」と言うほどの破壊力があるが、それに屈しなかった藤田はやはり人のレベルを超えた野獣だ。
藤田は、拳王が「脳が揺れた」と語った重い張り手をぶち込み、ラリアット2連発から、まったく躊躇がない顔面へのサッカーボール3連発! そこには杉浦が望んだ「強い藤田」が勝ち誇る姿があった。果たして、杉浦はこのとてつもなく強い野獣をどう攻略しようというのか……。
文/小佐野景浩
写真/プロレスリング・ノア